「ペスと駆け巡った日々」

続でそれなりに大きな家が手に入るとわかったら、普通は嬉しいものなんだろうか。
 少なくとも我が家についていうなら、全く嬉しくはなかった。それどころか、厄介なものを遺してくれたな、という思いのほうが大きかった。
 私たち家族には、既に持ち家がある。職場に通うのにも不便のない場所だ。
 今更、遠くにある家が自分のものになったといわれても、相続税はどうするのか、固定資産税などはどうするのか、そんな諸々の悩みしか生じない。
 
 あれやこれやと迷った末、手放すことにしたのだが、相場もわからなければ売り方もわからない。
 そこで幾つかの不動産業者を呼んで、査定してもらうことにした。机上査定と訪問査定というのがあるということも、この時に初めて知った。
 やって来た業者らは当然家や土地の状態を見て回るわけだが、その中に少し変わった業者がいた。
 庭の片隅に据え付けてあった犬小屋を見て、質問を投げ掛けてきたのだ。
「この犬小屋は、もとから設置してあったのですか?」
「ええ、親が飼っていましたから」
 ゴールデンレトリバーのペス。私が中学生くらいの時に老衰で亡くなったが、それまではよく散歩に連れて行ったものだ。あの時は大泣きしたものだっけ……。
 あれからかなり経つのに、犬小屋だけはこうして残されていたのだ。単に処分が面倒だっただけかも知れないが、それでも少し懐かしいような、嬉しい気持ちがした。
「お庭もかなり広いですね。かなり余裕がある」
 その業者は、あれこれ見ながらそんなことを言っていた。
 
 後日、査定額が出揃った。
 よくわからないなりに大手から中堅どころまで選んで見積もりを頼んだのだが、驚いたことに、高値を示してきたのは必ずしも大手といわれるような業者ではなかった。それは犬小屋について聞いてきた、あの業者だったのだ。
 
 そこで、騙されているのではないかという心配もあったため、その業者を呼んで話を聞いてみたところ、「買取と仲介の違いもあるかも知れません」という答えが返ってきた。
 どうやら、不動産を売るにも相談した不動産屋が直接買い取ってくれる方法と、不動産屋が別に買い手を探す方法の2つがあるらしい。そして買取の場合は、仲介に比べて一般的に買取価格が安くなるのだという。
買取りが安いからだめだと言うことではない、すぐに売りたいならそれでもいい。
「うちは仲介でやれると判断しましたので、それを基に算定させて頂きました」
 彼は白い歯を覗かせて、自信に満ちた様子で断言した。
 その業者によると、不動産の売却というのは別に特定の一社に任せなくてもいいとのことだったので、契約することにした。
 
 仲介でやれる、と言い切っただけあって、さすがにその業者が買い手を見つけてくるのは早かった。一ヶ月経つか経たないかくらいではなかっただろうか。
 だが、他の業者よりも高く値段を出して、それでも買い手が見つかるというのはどういうことなのか。考えてみれば不思議だ。
 とりあえず、相手が内覧に来たいというので、週末に時間を取って案内をすることにした。
 
 約束の日、やって来た相手を見て、私は不動産業者の男性が自信を見せていた理由を理解した。
 そう、相手の一家は、大きなゴールデンレトリバーを飼っていたのだ。
「大型犬を気兼ねなく飼いたいという方は、案外多いんですよ。空っぽの犬小屋を見て、ここならいけるんじゃないかと思いまして」
 そう言って彼は笑った。
 確かに、この家は大きいし庭も広い。立地としても、そこまで住宅が密集しているようなところではなかった。大きな犬を飼うには好都合だろう。
 
 犬が吠え、相手の家族の子供たちとともに庭を駆け回る。その様子が幼い頃の光景と重なり、目頭が熱くなった。
 私とペスも、ああして遊んだものだった。ペスは撫でると気持ち良さそうに目を閉じた。クリーム色の毛は触るとふんわりしていて滑らかだった。私はペスの耳や横腹を撫でるのが好きだった。
 業者の男性が、こちらを見て言う。
「犬小屋をお持ちになるのなら、それは構いませんが、もしよろしければ――」
「ええ……、是非使って頂きたいと思います。あの犬に」
 私は頷いて、そう答えた。室内で飼うにせよ、屋外で飼うにせよ、この家なら確かにうってつけだろう。どうせ使いみちのない犬小屋なら、この家族に託したいと思ったのだ。
 こうして、相続した家の買い手は決まったのだった。
 
 最初は、相続という形で転がり込んできたこの家は、厄介なだけの代物だと思っていた。
 だが、ここにはただ親が住んでいたというだけではない思い出があったのだ。
 日々の仕事に追われて、私はいつしかペスのことを思い出さなくなっていた。その記憶が、目の前で楽しそうに駆け回る子供たちと犬を見たことで、鮮やかに蘇ったのだ。
 家を売ろうとしなければ、ペスとの思い出も、きっと埃が降り積もるように記憶の底へ埋もれていたのだろう。
 ペスと駆け回った日々のことを思い出させてくれた買主の家族と、そんな買い手を見つけ、引き合わせてくれた不動産屋。この両者へ感謝を捧げたい。
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