「夏のはじまり」

ーんみーん。蝉がうるさく鳴いている。
夏が始まった。
「お父さーん。ちょっと、こっち見ててくれない?」
妻の声に振り返ると、小学校に上がったばかりの三男がぱたぱたと洗濯物の周りを走っているところだった。
 
よいしょと重い腰を上げ、縁側から室内へと戻る。扇風機がくるくる回り、生ぬるい風を振りまいていた。
うちは、5人家族だ。妻と私、そして3人の息子。長男は今年中学校に上がる。しっかりした子だが、さすがに弟二人見つづけるにはまだ幼い。次男は小学校中学年で、勉強が好き。三男は活発な子だ。
 
「ほーら、走るんじゃない。お母さんが困ってるだろ」
「でも! 扇風機が回るからぼくもいっしょに回るの!」
「ほら、こうすれば回らなくて済む」
扇風機の向きを固定してやると、息子は子供特有の「われわれは、うちゅうじんだー」というのをやりだす。いったいこれはいつの代から続いている遊びなんだろう。
長男が学校から帰ってくると、あまり広くない居間で勉強を始めた。次男もそれをまねしてノートを広げて漢字の練習をする。弟を教えてやりながら、自分のことは後回し。長男は賢い子だし、わがままも言わない。妻は台所で夕飯を作っていた。今夜はそうめんだ。夏の風物詩。
ちりんちりんと風鈴を夜風が鳴らすころ、平屋の家の一番涼しい部屋で息子たちが川の字で眠る。私と妻の寝室はその隣。寝室、などと高級なものではない、布団を敷いたそこで、私はぽつりと切り出した。
 
「なあ」
「なんですか?」
「息子たちも大きくなったよな」
「そうですねえ」
妻はにこにこと笑っている。蚊取り線香の煙がゆるりと立ち込め、独特なにおいが鼻についた。
「もうそろそろ、やつらにも部屋をやりたいと思わないか」
「……と、いうと」
「……引っ越さないか」
 
妻は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにまたにこりと笑った。
「そうですね。息子たちも自分の部屋もほしいでしょうし」
「なんだその含みのある言い方は」
「いえいえ」
くすくすと妻が笑う。私は寝ころんでいた体を起こして彼女を見た。
「なんだよ」
 
「いいえ。このおうちは、お義父さんから受け継いだお家でしょう。ずいぶん長く耐えてくれましたしね。それにあなたも、自分の家もほしいでしょう」
まったく妻にはかなわない。
この家は父から受け継いだ家だ。周囲には楽でいいね!などと影口もたたかれた。私は、自分の建てた家がほしかった。名実ともに、我が家。息子たちにもその家で、大きくなってほしい。そしていつかは、私と同じように、家を息子たちにあげて、そこでまた、仮住まいをしてほしい。
「いいんじゃないですか。このお家を売って、あたらしい家を買う資金にしたら。きっとお義父さんもそれを許してくださいますよ」
 
「そう、かな」
「そうですよ」
その翌日、私は息子たち三人にそのことを伝えた。幼い次男と三男は新しい家という言葉に心躍らせていたが、長男だけは少し複雑な顔をしていた。
「父さん」
その夜、長男が私を訪ねて部屋へ来た。
「なんだ」
「この家を売るって」
「ああ」
「僕のせいなの?」
「なんだって?」
「僕が部屋をほしそうにしていたからなの? それなら大丈夫だから」
「違う。お前も、弟二人も、もう大人になる。部屋はやりたいと思うが、お父さんだって本がいっぱいになってな。部屋がほしいんだよ」
息子ははにかんだように笑った。
「父さんもなの」
「ああ」
 
 
 
私は息子の頭を撫でた。優しい子に、育ってくれたんだと、内心泣きそうになるのを抑えながら。
 
それからすぐ、私たちは家を売る手続きをした。新しい家を建てながら買い手を探し、ちょうど家の完成するころ、買い手が見つかった。
それから数十年。長男が結婚するという。相手はいい娘さんだった。
いつかまた、私と同じように、長男が優しい思いをしてくれる家になってくれたら。
私はその日を、私の家で待っているのだ。
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