『幸福のしらせ』

れは友人の話
彼女と出会ったのは、長く勤めている不動産会社の受付でだった。
転勤の多い俺の仕事は、不動産会社の営業。転勤ってったって、そんなにポンポン遠くに飛ばされるってことはない。都内の営業所が変わるくらい。
でも、東京の中だってそれなりに広いんだから、引っ越しは会社のマンションを転々としていた。そのおかげで、周りがどんどん結婚する30歳を過ぎても、俺はご祝儀貧乏になるだけで結婚の「け」の字もない。
不動産会社の営業をやっていると、「結婚するから引っ越します」とか、「子供ができたから新しい家がほしくて」なんて人もたくさん見る。いつも俺はそれをニコニコ笑顔で対応しながら内心でため息をついていた。俺には春なんて来ないんだろうか。
春どころか夏も深まってきて、外に出るとガンガンに汗をかく季節が来た。この季節の外回りはしんどい。そんなしんどい外回りは後輩にやらせるダメな先輩を演出しながら、俺は会社の中で積みあがった事務仕事にいそしんでいた。
からんからん。
ドアに付けられた安っぽいベルが鳴る。受付の女の子が迎え入れたのは若い女性だった。珍しいこともあるものだとパソコンに向かっていると、受付ちゃんが遠慮がちに俺に声をかけた。
「なに」
「あの方、家を売りたいそうで」
「へえ?」
「よかったら斎藤さん、対応してもらえませんか」
「いいけど……」
返事を返しながら、俺はちらりと受付に所在投げに座る子を見た。服装はブラウスにひざ下の紺のフレアスカート、女子大生風だ、年のころは俺より3つ下くらいだろうか。茶色の髪は長く、前髪は斜めに流している、目のぱっちりしたかわいらしい子だった。
家を売りたいという事は、家を持っているという事だろうが……とてもそんな、金持ち風には見えない。ややこしいことになる予感を頭の隅に感じながら、俺はパソコンの電源をスリープにした。
「いらっしゃいませ。私、営業の斎藤ハジメと言います。よろしくお願いいたします」
「あ、よろしくお願いいたします……、私は二戸穂澄と申します」
にのへほづみ。ずいぶんかわいらしい名前だ。
「本日は家を売りたいという事ですが」
「はい。実は、私、両親がすでに他界しておりまして、祖父に育てられていたんですが、先日祖父も他界しまして。相続した家を売りに伺ったんです」
「それはご愁傷さまでした」
詳しく話を聞くと、彼女の祖父が他界したのは少し前のことだという。いわゆる突然死と言うやつで、朝目が覚めたら祖父が死んでいたと。家自体はそれほど古くはないが、やはり人の死んでしまった物件としてなかなか買い手がつかないらしい。
「なるほど……」
「祖父との思い出の家ではあるのですが、やはり売却してお金に変えた方がいいかなと……どうにか探してもらえませんでしょうか?」
「やってみますが……」
彼女のまっすぐな熱意を受けて、俺は断るに断れなかった。だが、うちは小さな不動産会社だ。大手にどうにもならなかったのなら、正直、俺にもどうにも難しいだろうと、思っていた。
査定をして販売するが、やはりなかなか売れない。3ヶ月が過ぎ、6ヶ月が過ぎ。夏が終わって飽きも過ぎ、しんしんと冷え込む冬がやってきていた。
俺は何度も何度も彼女を訪ね、俺と彼女は親交を深めていったが、残念ながら買い手は付かなかった。彼女は売れない家に住み続けていた。
「最近は寒いですね」
「そうですね……」
彼女は明らかに落ち込んでいた。
だが、俺は今日、あることを言おうと思って彼女の家に来ていた。
「じつは、今日、報告があるんです」
「え?」
「この家に、買い手が付きました」
「本当ですか?!でも誰も内覧にはいらしていませんけど……」

「俺が買います」

「――え?」
彼女は目を丸くして、俺をまじまじと見つめている。
俺はもう一つだけ、言わなくてはいけないことがあった。
「でも、この家はあなたの大切な思い出の詰まった家です。あなたにも住んでほしい」
「え、えっ、ハジメさん、それって……」

「だから、俺と結婚を前提にお付き合いをしてください」

真っ赤になって頷いた彼女を、俺も真っ赤になって抱きしめた。ふたりしてばかみたいに笑いあって、俺たちは付き合い始めた。遺影のお祖父さんが、うれしそうに笑ってくれている気さえした。
あれから5年。俺はいま、あの冬の日に買った家で、妻と子供と、そして彼女の大切な思い出と一緒に暮らしている。
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