「第8話」 地面師 宅地建物取引士 奈々美の奮闘記

々美はその日物件の引き渡しが完了したお客さんに御礼のあいさつをしてきたところだった。奈々美はいつもこの仕事を楽しんではいるが、何と言っても契約が完了する瞬間はうれしくもあり、また安堵する瞬間でもある。
 そんな晴れ晴れとした気持ちを抱えながら、『不動産ステーション』に戻ってくると、社長の泉田が、見覚えのない男と応接にいた。
 おそらく70代くらいと思われる老人だが、ジャケットを羽織り、髭や髪も確りと整えられていて、こぎれいな身なりをしていた。おそらく外ではかぶっていたであろうハットを横のソファに置き、泉田と向かい合っていた。いかにも裕福そうな印象を受ける老人だった。
 お客さんだろうか、社長が相対するということは相応の物件なのか、そんな感じで奈々美が想像を巡らせていたところ、泉田に呼びかけられた。
「おい、若葉、ちょっとこっち来て、一緒に話を聞いてくれないか。物件のご売却の相談だ」
 呼びかけられた奈々美は威勢よく返事をして、いそいそと応接室に入っていった。お客様の前でははきはきと。最若手の奈々美であるからなおさらだ。
「若葉と申します。泉田と共にお話しお伺いいたします」
 部屋に入ると自己紹介と共に名刺をお渡しした。個人としての売却のようで、相手の老人には名刺はなく「堺です。よろしくお願いします」と簡単に会釈した。
「それでは、さっそく本題に入りましょうか。今回のご売却を検討されている物件というのは、どちらでしょうか?」
 泉田が切り出すと、堺が物件の説明を始めた。
「ちょっと本日は簡単な相談だったから、何も持ってきていないんだけどねえ。この住所の物件を売却したいんだよ」
 そう言って堺は小さなメモを差し出した。そこには、

八王子市柴崎町3丁目45番地

 と、書かれていた。
 奈々美はその住所の物件に心当たりがあった、というより、八王子市内の不動産を扱う業者であれば誰しもその物件を認識くらいはしていることだろう。というのも、そもそも柴崎町は八王子市内では住宅街としては地価の高い地域で、その中でも、この住所に当たる場所は、ひと際広大な土地と、豪邸が立地していることで、業者の中では有名だ。
「そうでしたか。確かにあの物件は堺様がお住まいと認識しておりましたが、お客様がその堺様でしたか」
 確かに言われてみればあの豪邸の所有者は堺だったな、奈々美はそう思いを巡らせた。
「失礼ですが、堺様自身があそこに住まわれているということですよね。その他にご家族は?」
「今は妻と二人暮らしだが、もう夫婦二人では広すぎるし、共々70を超えているから、いつ何があってもおかしくない身だ。ほら、不動産のままだと、何かあった時相続とか、大変だろう?だから、まだ判断ができるうちに整理してしまおうと思ってねえ」
「なるほど、相続のお話が出ましたが、独立されたお子様が何人かいらっしゃるのですか」
「そう、独りというかみんなもういい歳だけどね。3人いるからさ、家付きの土地だと分けるの大変だろうと思ってね。今のうちに現金にしておこうと思ったわけさ。もちろん、まだちょっとした旅行くらいは良く元気もあるから、多少は贅沢させてもらうけどね」
 堺は目を細めてほほ笑んだ。歳は取っているがまだまだしっかりしている印象で、奈々美の頭には奥様と仲睦まじく暮らす堺の姿が浮かんでいた。
「もうこれだけ広いと掃除したりというのも辛くてねえ。もう少しこじんまりした家に引っ越そうかと思うんだ。八王子もそこまで大都会ってわけじゃあないけど、もっと自然に近いところがいいな。昔なら山沿いが良かったけど、歳だと坂の上り下りは勘弁して欲しいから、まあ海の近くかな」
山という言葉に奈々美が反応した。そろそろ口を挟んでみようかな、と言うのもあった。
「山がお好きだったんですか?」
「山というか、自然がね。昔は山で言えば全国の山登りに行ったものだったよ。まあ本格的な登山というよりは『山歩き』って感じだけどね。ピッケルとか持つ感じのではなくてね」
「わあ、私も山歩きが趣味なんですよ。休みがあればしょっちゅうリフレッシュに山に出かけます。私も『歩ける』山専門ですけど」
「そうかい。最近は『山ガール』なんて言って、山歩きする若い女性が多いみたいだね。確かに仕事に疲れたら、山の空気を吸うのはいいリフレッシュになるね。私も仕事をしていた頃はよくやっていたよ。富士山なんか何度か行ったものだ」
「お仕事は何をやられていたんですか?」
山の話題ではついていけない泉田が話題を変えた。
「まあいわゆるデベロッパーになるのかな。不動産会社の、まあ大した会社じゃないが、一応社長をやっていたよ。もう10年ほど前の話だけれどね」
「ご立派だったんですね」
小さかろうが大きかろうが、一端の若手社員に過ぎない奈々美からすれば、天の上のような存在だった。といってもすぐ横にも社長・泉田がいるわけだが。中小企業だと近いんだか遠いんだかわからないな、と奈々美は思った。
「いやいや本当に自分の仕事なんてちっぽけなもんで、この柴崎町の家だってこれまで堺家が守ってきた土地ってだけなんだよ。守ってきたって言っても、私が若い頃はほとんど山の中だったから二足三文だったんだけどね。最近はあの辺も八王子の町の中にだいぶ溶け込んじゃって」
堺は嬉しさ半分、寂しさ半分といった表情で言った。
「そうですね。あの辺り、土地の値段もずいぶん上がりました。少し距離があるものの、なんて言ったって中央線徒歩圏ですし、あの駅は始発電車があるもんで、利便性もなかなかですよね。それにあの堺様のお土地、相当な広さがありましたよね?」
「正確に覚えていないんだけど、 300坪くらいはあるんじゃなかったかな。もし具体的に進めてくれるなら、今度土地の権利書とか見せるよ」
「300坪ですか!それはすごいですね」
「あの辺りは、購入の場合の坪単価でみても70万円は超えるので、もちろん土地や建物の状態にもよりますが、1億円は軽く越えるでしょうね」
「そうかい。まとまった資金が手に入るなら、とても助かるよ」
「今度ご自宅に伺ってもよろしいですか?土地の下見と合わせて、権利書についても確認させていただければありがたいのですが」
「もちろんだよ。いつがいいかな?来週の日中なら大体予定は空いているが」
堺と泉田は手帳を、奈々美はスマートフォンを開いて日程を確認し始めた。
「それでは、月曜日の11:00はいかがでしょうか。若葉も大丈夫か?」
「はい、私は大丈夫です」
「私も大丈夫だ。それでは来週月曜11:00に準備しておくよ」

堺が店に来た日の夕方、奈々美は泉田と今後の方針について話し合っていた。
「あの土地、どうしようかな。多分個人で買い手を見つけるのは至難の技だろうし、業者に販売してしまって、仲介手数料だけもらうのも惜しい気がするな・・・」
買い手を見つける仲介となると、仲介業者である不動産ステーションに入る収入は、たとえ1億円超の土地を売買しても3%に数万円足した程度しかはいらないのだ。買い取ったのちに高く販売できれば、その差額を儲けることができるが、これは在庫リスクが怖かった。不動産ステーションでは、いかにもすぐ買い手がみつかりそうな駅近物件などで買取を行うこともあったが、事例としてはあまり多くはなかった。
「弊社で開発してはいかがでしょうか。ちょっとした住宅地にできるんじゃないですか。そこまで大規模開発というわけでもないですし、ウチでもできなくはないですよね」
「そうだな、300坪なら8件くらいで、それなりの広さの住宅地に出来るな。あの辺りの建売なら4000万円くらいで売れるだろう。駅まであの距離なら買い手もつくだろうし、ちょっとした儲けもでそうだ。リスクはあるが、買い取ってただ買い手を探すよりはビジネスになりそうだ」
泉田は考えを巡らせるようにやや宙を見ながらそう言った。
「それでは、とりあえず今度訪問するまでに、登記情報で土地の特徴一通り確認しておきますね。それを持って堺様のご自宅を訪問した際に、土地を下見しましょう。見積もりは出しますか?」
「いや、見積もりは今度訪問して権利書を確認してからにしようか」
テンションが高い割に慎重だな、と奈々美は思ったが、個人宅としては高額物件だからだろうか、と思い直し、さして気にはしなかった。

約束の月曜日の午前中、泉田と奈々美は堺宅に車で向かっていた。小さくても一応社長なので、運転は奈々美、社長は後部座席でどっしりと構えていた。
前週のうちに、奈々美は登記情報サイトで土地の情報を一通り確認していた。数百円程度の手数料はかかるが、これを調べれば土地の所有者や土地の面積、土地の状況や、その土地に建っている建物の情報がすぐにわかる。
奈々美が件の柴崎町の土地を調べたところ、あの土地の所有者が堺雄二という名義だった。あの日堺と名乗っていた老人は不動産ステーションのお客様カードに同名を書いており、双方の名前が一致していることを奈々美は確認していた。
また、土地の面積は約305坪程度で、概ね堺が言っていた面積と一致していた。
「ちなみに、建物も床面積で200坪弱あるそうです。確かにそれだけ広いと、ご年配の夫婦にはかえって大変かもしれないですね」
「すげえなあ・・・200坪か。気持ちとしてはその豪邸も残してみたいんだが、今時買い手つかんだろうし、残念ながら成約した場合は取り壊すしかないよなあ」
 泉田が気にしていたのはこの点だった。古くから土地を所有していると、そもそもなかなか売りたがらないことが多い。最初は売りの相談で来ていたのに、商談の途中で態度を急変させるなんてこともよくあるらしい。ましてや今回は豪邸を取り壊す提案になる。土地は売るが家を残して「中古住宅」として売ってくれ、という相談も珍しいことではない。
「地形図なんか見る限りは比較的土地の形状もよいので、不動産屋さんとしてはやっぱり宅地に開発するのが無難でしょうね。タダで住んでいいなら私が住みますけどね」
「ははっ。一人であんなところ住んでどうするんだ。・・・散らかしてしまってせっかくの豪邸が台無しだろう!」
「散らかしてしまって」の前の妙な間は「相手もいないくせに」と言おうとして踏みとどまったのだろうと奈々美は察した。何かと面倒な時代になったものだ、となぜか女であるハズの奈々美がしみじみと感じていた。
「まあでも、あそこに住宅地か。徒歩12分くらいですよね。最近家の値段も上がってますし、価格設定さえ間違えなければ、ニーズはありそうですね」
「こうやって徐々に町が若返っていくんだろう。八王子だって、若い家族に住んでもらわないと、あっという間に高齢化だぞ」
高齢者が住む住宅を宅地化して若い複数の家族に住んでもらい、町が若返る。そう思えば、豪邸を崩す後ろめたさが少し軽くなるかと奈々美は考えていた。

程なくして、車は柴崎町の堺家の前に到着した。豊田駅から少し離れている丘の上にその家はあった。敷地は塀に囲まれていて、塀の奥に件の居宅があった。さすがに年数は経っているものの、名家を思わせる立派な屋敷が、東京都とは思えない広い敷地の中に建っていた。
「改めて見るとすごいお屋敷ですね」
「そうだな。好景気だったら富裕層が手を出すのかもしれないが、今の日本ではなかなか難しいだろうな。最近じゃそういう裕福な人は都心に行ってしまうからな。場合によっては中国人なんかの投資物件にされてしまうかもな」
奈々美は大きな門の横についている、見慣れないほどゴージャスなインターフォンのボタンを押した。インターフォンなんてどこも似たような見た目だと思っていたが、そんなこともないんだな、と奈々美は考えていた。
「待っていたよ。いらっしゃい」
インターフォンから声が聞こえた。堺の声だった。
「いま門を開けるから、入ってきてくれ」
インターフォンが切れると同時に、大きな門が開き、屋敷までの道が開けた。

奈々美と泉田が屋敷に入ると、堺によって応接室に通された。
応接に入ると、堺以外にもう一人男がいた。スーツを着込んで、インテリを思わせるメガネをかけて座っていたが、こちらが応接に入るやいなや立ち上がって客人の二人によってきた。
「この方は?」
泉田が聞くと、堺が話すよりも早く、その男は名刺を差し出してきた。
「お世話になります。私は小湊と申します。司法書士事務所を営んでおります」
男は泉田、奈々美と順に名刺を交換した。
「ま、座ってくれ」
堺は名刺交換が一巡したのを目にすると、3人に席に着くように促した。
「実はね、あれから権利書を探したんだが、歳のせいか、そもそもそんなもの普段は気にも留めないものだから、見つからなくてね。困ったものだよ」
堺はほおを掻きながら申し訳なさそうに言った。
「正直権利書がないからと、今回の件については諦めてかけていたんだけど、彼に相談したら、権利書がなくとも司法書士を通じて本人確認をすることで手続きを進めることが可能なんだそうで、今回は同席してもらうことにしたんだ」
「たしかに、権利書なんて普段は使うものではありませんからね。数十年放置しているうちにどこに行ったのかわからない、というのはよくある話です。そうした際には、司法書士や弁護士が権利者本人であることを、所定の本人確認書類の提出とともに証明することで、所有者として認められ、売買契約を進めることができます」
泉田がそこまで説明したところで、小湊という男が言葉を続けた。奈々美はそういえば、そういうルールあったな、と思いながら二人のやりとりを聞いていた。
「堺さんについては、つい先日相談を受けたばかりなのです。印鑑と印鑑証明だけで済む仮登記はひとまず済ませておりますが、実際の売買については私が『本人確認情報』を提供することで進めていく想定です」
「まあ、買い手がつけばの話ではあるがね。御社を含めちょっと何社かに相談してみているけど、手前のことで何だが、それなりの広さの土地だからね。金額もそれなりとあって、みんな慎重なようだ」
堺はやれやれ、といった様子でそう話した。
「そうですか。もしよろしければ、弊社からご提案があるのですが、いかがでしょう」
「是非伺いたいね」
堺がそう言ったところで、泉田は奈々美に目配せをした。奈々美はそれを合図に数枚の紙で構成された冊子を配った。
「これは弊社がご提案するこのお土地の活用方法とお値段の見積もりです」
そう言って泉田は資料を見るように促した。
「不動産業者が物件を売買する場合、買い手を見つけて右左する『仲介』と不動産業者が一旦買い手となる『買取』があります。これだけの高額物件ですと、一般的には不動産業者にとってリスクとなりますので、仲介を念頭におく業者が多いのですが、仲介の場合は買い手が見つからなければ売買が進められません。正直堺様のお土地ほどの高額物件ですと、たとえ良質な物件でも、購入できる方は限られてきますので、なかなか買い手がみつからないことも多々あります」
そこで、と泉田は資料をめくるように促して続けた。
「買取はリスクが高い、仲介は買い手が見つからないということで、弊社は第三の選択肢として『開発』を検討しております。失礼ながらあらかじめこのお土地のことを公表資料から調べさせていただきましたが、こちら300坪超の広さがあり、かつ土地の形状も良好なので、恐らく宅地として活用する余地は大きいと考えております」
泉田の言葉に一段と力が入る。
「宅地の詳細については現時点では未定ではありますが、こちらの地価や周辺のお土地の価格等を加味すると相応の金額で買取ることが可能と見ております。本日がお土地を見るのが初めてですので、まだ具体的な金額はお出ししておりませんが、きっとご満足いただける金額を提示できるかと」
泉田の話を聞いた堺は、腕を組み、少し考えたのちに口を開いた。
「なるほどな。たしかにこのご時世こんな広い土地買える人間は多くないんだろうな。しかし、そうなると今あるこの家は壊してしまうということかい?」
「恐縮ながらそうなります。ご立派な豪邸とは存じておりますものの、これほどの物件を購入できる人間が限られているというのは、堺様のご認識の通りです」
このプランを話す上で泉田、そして奈々美が最も懸念している点はここだった。堺はこの立派な豪邸を取り壊すことを是とするだろうか。
本来、土地の使い方は売買契約が成立してしまえば、諸法令に則ってさえいれば自由なのだが、泉田はあくまで、金額だけではなく、活用方法についても納得いただいた上での売買成立に拘っていた。それが不動産業者が示すことができるせめてもの誠意だと考えていたのだ。
しかし、二人の想いとは裏腹に、堺は意外なほどすんなりと提案に理解を示す。
「そうかい。いやいいんだよ。こんな豪邸住む人がいなければ意味がないんだから。それよりも出来るだけ高く売りたいものだよ」
場合によってはここで気分を害すのではないかと心配していた二人は安堵した。すんなりいきすぎているようなきもしたが・・・。
「なるほど。たしかに今後のこと、お子様のことを考えれば、金額も重要ですよね」
奈々美はこの売却が遺産配分のことを念頭に置いた資産整理であることを思い出し言った。
「ああ、そう、そうだよ。子供達のことがあるからな。3人もいると何かと大変だ」
堺が言葉を返す前にわずかに間があったような気がしつつも、泉田と奈々美はさして気にも留めなかった。
「まあまだ御社に決めるというわけにはいかないが、是非土地を見ていって、今度見積もりを出してもらえないか。たしかにこの土地は広いのにほぼ真四角で、最初から整形地であったかのような土地だからな。ささ、調べていってくれ」
「それではお土地の細かいところは私は専門外なので、ここで失礼いたします」
本人確認情報の方は手続き準備しておきますので、といって小湊はそこで退席し、泉田と奈々美は堺と共に庭の方へ出ていった。


堺宅の訪問から数日後の夕方、奈々美は不動産ステーションの事務所からほど近い洋風ダイニングにいた。奈々美自身は居酒屋でいいのに、と思っていたが、相手方がそうもいかない、かといってあまり高級なところは奈々美がしんどいので、間をとってここになった。
奈々美が先に座っていると、相手が颯爽と入り口からやってきた。
「あら、お待たせしたかしら?ごめんなさい、仕事が少しだけ長引いちゃって」
上品かつ奈々美の記憶に残るコロンの香りと共に入ってきた彼女はそう、お嬢様で司法書士の三園だ。二人は一度仕事で一緒になって以来、バリバリ働く女子同士ということで気が合い、最近はランチに行ったり、こうして時たま一緒に飲んだりするようになっていた。
「いえ、私も今来たところですよ」
奈々美のそんな言葉を聞くと同時に、三園は荷物を取り、上着を脱いだ。
「厚手の上着はジャマになるから着てこようか悩んだのだけど、まだまだ寒いわね。仕方なく着てきたわ」
三園がコートを指すので、奈々美は何となくコートを見た。相変わらず手触りのなめらかそうないいコートを着ているな、と思った。
「私も外回りが結構あるので、普通に上着を着ていますよ。三園さんのように高級なものではないですけどね。さて、お料理始めてもらいますね。お飲み物は今日は?」
「そうね、今日はビールにしようかしら」
昔は、お嬢様は生ビールなんて飲まないと思い込んでいた奈々美だったが、三園と飲むようになったことで、そんなことはないと認識した。どんな人間でも仕事終わりにビールという選択肢は常に残されているのだ。
「私もそれでいいかな。店員さん、お願いします」
奈々美は近くにいた店員に声をかけて、諸々を伝えた。
「仕事はどう?」
特段の意図もなく三園が問いかけた。
「相変わらず忙しいですよ。最近は不動産売買のお客さんも多いですし。つい先日1つ引き渡しが終わったところだったんですが、今度もまたなかなかの土地の売却を相談されているんですよね」
「なかなかの土地?」
「はい。あんまり詳細は言えないんですけど、300坪くらいある豪邸のある土地なんですよ。多分1億円ではすまないんじゃないかなっていう」
「300坪。この八王子とは言え、なかなかの広さね。もしかして、私も知っているお宅なのかしら」
その間に生ハムが運ばれてきて、二人はつまみはじめた。塩加減がちょうどいい生ハムだけど、やっぱり生ハムにはワインかなぁと奈々美は思い始めていた。
「さあ、、まあちょっと詳細は・・・多分言わない方がいいと思うんであれですけど、遺産相続が大変になるからって、売ってしまいたいんですって」
「へえ、でもそんな物件、今時買う人いるのかしら。あ、白ワインもらっていい?」
奈々美は待ってましたとばかりに店員を呼び、適当な白ワインとグラスを2つお願いした。正直銘柄とかはよくわからなかったが、三園に選ばせるとそれはそれで面倒なので適当な値段のやつを頼んだ。
「そこは社長と相談したんですけど、ウチで買い取って宅地開発しようかなって、話になっているんですよ」
「じゃあその豪邸とやらは壊しちゃうの?持ち主躊躇したりしないのかしら?」
「それはすでに聞いてみているんですけど、あまり強い思い入れはないみたいで、その点は大丈夫です。今度売値の見積もりを出しに行くところですよ」
奈々美の言葉に三園は引っかかっているものがあったが、ふうん、と相槌を打つだけだった。
「そういえば司法書士の方が同席していたんですよね。三園さんと同業ですね。確か小湊さんという人」
続いてフォカッチャとパスタが来た。パスタはジェノベーゼだった。生パスタは女子なら間違い無いよね、と奈々美は謎の自信をのぞかせた。
「司法書士?まだ価格出す前なのに?普通もう少し契約の時に来るんじゃ無いの?」
三園の「引っかかり」を明確に気にし始めたのを、奈々美も感じ取っていた。しかし、奈々美は何を三園が気にしているのか、まだわからなかった。
「権利書がないので、本人確認情報を司法書士が提供するんですよ。ほら、あるじゃないですか。権利書がなくとも、司法書士が本人確認情報を提供することで、売買を進めることができる制度が」
「それ、気をつけた方がいいわよ」
三園は明確に不審感を示した。
「え?何がですか?」
「本人確認情報を出して売買を進めるのって、『地面師』でよくある手段だからよ。その人が本当に本人で間違い無いか、慎重に確かめた方がいいわ」



地面師は不動産売買を題材とした詐欺を行う個人もしくは集団を指します。買い手が被害に遭うパターンと、売り手が被害に遭うパターンがあります。

①買い手が被害に遭う場合
買い手が被害に遭うのは、地面師が売り手となりますまし、本来所有していない土地を「所有している」と不動産仲介業者や買い手を信じこませ、そのまま売買契約を進めてしまう場合です。この場合本来の所有者が所有権を主張したり、そもそも登記の移転を進められないなどして、買い手はお金を支払ったにもかかわらず、土地が手に入らないことになります。

この際に時々利用されるのが、今回も出ている行政書士や弁護士による「本人確認情報の提出」を行なって売買契約を進めるやりかたです。これは「権利書」を保有せずとも、資格を持つ者(=司法書士や弁護士)が「権利をもつ本人に間違いない」といわば証明することで、契約を進めるのです。

その際、本人確認書類や印鑑証明などが必要となりますが、実はこうした書類や印鑑は現代の技術ですと、プロが行えばかなり精巧に偽造できるようになっております。資格を持つ者もこれに騙されてしまう場合が多いですし、より悪質な手口として、「司法書士や弁護士がグルだった」という事例も起こっています。

②売り手が被害に遭う場合
売り手が被害に遭う場合は、不動産仲介業者が詐欺手段だったという場合がほとんどです。手口は簡単で、なんらかの方法で不動産仲介業者が買い手から支払われた土地売買代金を持ち逃げしてしまうのです。一方、登記の移転はおこなわれるので、売り手は土地を失い、お金も入ってこない、という事態になるわけです。

今回はこの2つのパターンのうち、「買い手が被害に遭う」パターンではないかと、三園は懸念しているのです。今回ここでいう買い手は「不動産ステーション」です。不動産ステーションは土地の買い手を見つける「仲介」ではなく、不動産業者による「買取」を選択し、その後不動産ステーション自身で土地を活用することを検討しています。


「でも、堺さんの場合は長年あの家に住んでいたみたいなんで、流石に大丈夫なんじゃないですかね。権利書をなくしたなんていうのも、お年寄りではそこまで珍しいことでは無いですし、ウチの社長も気にしてなかったけどな」
「ただ気になるのよね。もともとあの制度は狙われやすいのよ。本人確認においてはいくつか本人確認のために提出する書類があるんだけど、運転免許証も住民票も印鑑証明書もその気になれば偽造できてしまうのよね。どれも紙幣ほどは偽造防止の仕組みがないから・・・。最近は3Dプリンターで印鑑の偽造も簡単にできちゃうらしいわよ」
「へえそうなんですか。そうすると、全ての書類を偽造すれば、本人になりすまして売買を成立させられるかもしれないということですか?」
「そう、それで契約しちゃうけど、本当の持ち主では無いから、登記の移転ができず、引き渡しは完了されないわ」
メインも終わり、デザート待ちの状況だ。二人ともワインも赤に変わりそれなりに飲んでいたが、話はいたって真面目な感じになってしまった。
「でもなあ、堺さんあそこに住んでいたみたいだし、流石に本人じゃないのかなあ」
本物だったら、宅地開発に面白い土地なんだけどな、と奈々美は複雑な顔をした。
「まあ、現時点だとなんとも言えないし、社長もまたと無いチャンスってことで、きっと話を進めようとするわよね?もし取引を急いでいる素ぶりがあった場合には、より気をつけた方がいいかもしれないわね。悪事は時間が経つとバレやすくなるから、そういう人って大抵事を急がせようとするものよ」


昨晩は、三園お嬢様に釘を刺された奈々美だった。最初は「大丈夫な司法書士か監視する」ような立ち位置だったのに、いつのまにかアドバイスもらう立場になっちゃったな、と安堵するような、こそばゆいような複雑な気持ちを抱えながら、奈々美は不動産ステーションの扉を開いた。
そして残念ながら三園お嬢さまが懸念する方向に自体は動こうとしていた。
オフィスに入るやいなや、泉田が飛び込むように奈々美の方に駆け寄ってきた。抱きつかれるのかと、思わず奈々美は体をのけぞらせた。抱きつかれたら即座に通報しようと思っていた。
「大変だぞ若葉!堺さんがほかの不動産屋に売却を検討しているといってきた」
泉田は密かにどんな住宅地にするか夢をふくらませていたところだった。この規模の不動産屋さんにとって、土地を買い取って8軒もの宅地開発に回すというのは、なかなかの一大プロジェクトなのだ。
それがおじゃんになるかも知れないと、泉田は手をばたつかせながら説明を続ける。
「なんでも、他の不動産屋が飛びついてきているんだそうだ、うちと同じように買い取ってしまうつもりらしい」
「ええ?何で急にそんな話になっているんですか?」
「急にも何も、ウチ以外にも相談していただけのことだろう。相談するのは売り手の自由だからな。まだ契約を結んでいないし、そもそもウチなんて値段も出していないからな」
「もう契約に進んでしまったんですかね?」
「いや、まだらしい。こっちの方が相談を始めたのは先だからと、もし相手の提示価格を上回るのであれば、ウチに売ってくれるらしい」
まだ不動産ステーションにも戦う余地があるということだが、奈々美はそれはそれで怪しい気がしていた。少しでも高く売りたいというだけか?
「それで、相手はいくらと言っているんです?」
「堺さんの言い値にはなってしまうが、1億1千万円だそうだ」
「1億1千万円ですか?」
若葉は聞き返した。正直意外な数字だと感じていた。なぜなら・・・。
「そう、安いだろう。もっと高い値段出せるよな?ウチなら」
泉田は奈々美に詰め寄った。詰め寄られても仕方ないのだが、と思いながら奈々美は見積もり書のドラフトを泉田に見せるために、自分のPCを立ち上げた。
「そうですね。社長に言われて見積書を作成していたところですが、あのあたりは坪単価が足元73万円程度でした。従って、あの土地ですと業者売値で2億2千万円程度が見込めるわけです。仲介か、買取かにもよるでしょうが、仮に不動産業者がリスクをとる買取でもまあ、1億5千万円は固いでしょう。弊社は宅地開発を念頭に置いていることからもう少し収益チャンスがあるので、これに少し上乗せして1億7千万円を提示しようと、ちょうど今日社長に相談しようかなというところでした」
奈々美の説明に泉田は満足そうな表情を見せた。これなら勝算があると感じたのだろう。
「よし、早速堺さんのところに会うアポイントを取ろう!極力早いほうがいいな」
泉田の言葉に奈々美は自分のスマートフォンを開いた。
「えーと、私は今日はちょっとこの後外出ですね・・・お電話口で価格のことを伝えた上で、明日伺うというのでどうでしょう。一応、この見積もりドラフト見てもらっていいですか?」
「そうだな。この金額を伝えれば1日くらいは待ってくれるだろう・・・ちょっと見せてくれ」
手を差し出す泉田に、奈々美は見積書のドラフトをプリントアウトして渡した。
「よーし!これなら問題ないだろう。なんならもう少し釣り上げてもいいくらいだが、相手が食い下がってきたときに釣り上げる余地を残しておくか。早速電話してくる!」
そう言うやいなや泉田は社長室の方へ飛んで行った。
その様子を見ていた佐倉は相変わらずのぼそぼそ声で話し始めた。
「社長も必死だね。本気で宅地開発なんかするつもりなのかね。そんなにやったことないだろう。ウチの基本は不動産仲介なんだから」
「今回は簡単に買い手が見つからないし、億単位の売買で数%の仲介手数料だけで終わらせるのが惜しいと考えているようですよ」
奈々美の言葉に佐倉はため息をついた。
「まあ、宅地開発でうまく回ればウチの儲けも億円近くになる可能性もあるからね。はやる気持ちもわからないでもないけど・・・聞いているとその売り手大丈夫なのかねえ。僕は行ってないけど、大層な豪邸だそうじゃないか。何だってそんなに早く売ろうって言うんだろう・・・」
「佐倉さんも怪しいって思ったりしているんですが?」
「そうだなあ最近は怪しい詐欺なんかも話題になることがあるからなあ」
佐倉は大して高くもない天井を眺めながら呟くように言った。
「実は、三園さんにも似たようなことを言われたんですよね。あ、三園さんて昔一緒に仕事をした司法書士で、時々一緒に食事したりするんですけど。取引を急いでいるようだったら気をつけろって、なんだか彼女の言う通りになっている気がするんですよねえ」
周りの、一応年上の人が二人も「怪しい」と言い出している、これは本当にもしかするのではないか、と奈々美は思い始めていた。一番の年長者のハズの泉田は全く疑っていないようだが。
「ちょっと今日一日調べてみます。実はさっき『今日は外出』って言ったの、あれ嘘なんですよね。流石に本日行くのは早急すぎる気がしたので、咄嗟に1日猶予を作ったんですよ」
何で私は社内で、それも社長と駆け引きしてしまっているんだろうと思いながら、奈々美は堺のことを調べるために外に出た。

まさか自分が刑事の真似事のような芸当を行うとは思わなかった、堺の豪邸のすぐ近くまで来た奈々美はそう思っていた。なんで張り込みみたいなことやっているんだろう。
こういう時何から始めればいいのか、正直全くわからないまま、とにもかくにも「事件は現場で起きている」とばかりに、考えもなく堺の家の前に来てしまったのだ。
時刻は午前9時30分。通勤の喧騒はひと段落した時間で、あたりのは穏やかな時間が流れていた。堺の豪邸を含め、周囲の住宅地も午前の休憩時間に入っていた。
堺家は留守だろうか。人が居る気配がない・・・といっても、そもそもこんな広い家では、たとえ中に人がいようとも、人の気配は外からでは感じられないのかもしれない、と奈々美は考えていた。
どうしよう、どうすればいいんだろう。奈々美が考えていると、堺家の2軒隣の向かいに当たる家から、女性が出てきた。50代くらいだろうか、日本に100万人くらいはいそうな、普通のおばさんだな、と思った。
そういえば刑事と言えば聞き込みだな、と思った奈々美は、その中年女性に声をかけた。こういう時、誰とでも話せる性格はいいとつくづく思う。
「あの、すいません」
急に声をかけられた女性の方は少し驚いたようだった。しかし職場から直接きたので当然のことながら、奈々美は一応身なりはしっかりしていたので、さほど警戒していると言うふうでもなかった。
「はい、なんでしょう」
「私、不動産業者で働いているもので、いま、あちらにある堺さんの物件について確認しています。別に込み入ったことではなく、一応情報を収集しているだけです」
名刺を渡すべきか悩んだが、不審がられては元も子もないので、ここは正々堂々不動産ステーションの名刺を渡した。
「へえ、あの豪邸売りにでも出るんですか。もうずいぶん空き家状態だものね」
・・・え?
奈々美は固まった。何かの聞き違いだろうか。それとも・・・。
「あそこには堺さんが住まれているんじゃないですか?」
奈々美は心臓の音が強くなっている気がした。自分が悪いわけではなくとも、真相に近づいている気がして、妙にどきどきした。
「ええ、確かに昔はね。昔といっても5年前くらいまでだったかしら。夫婦で住んでいたわよ。夫婦共愛想のいい方で、外でたまたま顔を合わせれば挨拶はしていたわ。でも確か、その5年くらい前ね。お父さんの方が倒れちゃって。脳梗塞ね。一命はとりとめたし、後遺症もそこまで酷くはなかったんだけど、普通の生活は難しいと言うことで、老人ホームに移ったのよ」
「奥様の方はどうされたんですか?」
「もうずいぶん歳だったから、奥さんもホームに移ったみたいよ。詳しくは知らないけど・・・」
つまりこの女性の言うことが正しいとすれば、あの家はもう5年くらい空き家だと言うのだ。
「妙ですねえ。実は私、先日この家を訪問していて、堺さんと言う方にお会いしているんです。奥様はお見えになりませんでしたが・・・堺さんがホームを出て戻ってきたと言うことは?」
「えーないわよ。あーゆうのは普通もう戻ってこないでしょう?それに、全然見かけないわよ?律儀な方だから、万が一戻ってこれたとすれば、近所への挨拶はすると思うわよ?」
確かに、脳の病気が原因で老人ホームに入った高齢者が、「回復して戻ってきました」と言う話はあまり聞いたことがない、奈々美は首を傾げた。これはいよいよ怪しくなってきた。
「ちなみに、堺さんの家で何か変わったことはないですか?」
奈々美の問いかけに対して、女性は記憶を辿るように視線を上に向けた。
「あぁそういえば、あのお庭」
女性は塀の向こうを指差して続けた。奈々美が指先の方に目を向けると、如何にもしっかり手入れされていそうな庭木があった。
「以前はもうすこし、まあ空き家になっているから仕方ないんだけど、木や草が伸びていたような気がしたんだけど、半年くらい前かな、一晩のうちに急に人が住んでいた頃のように綺麗になっていたのよね。夜に庭師でも入ったのかしらって近所でも不思議がっていたのよね」
確かに5年も空き家であれば家は中も外も荒れていくはずだが、奈々美は綺麗に整備された堺邸宅内を見ているし、年老いてはいながらもしっかりした堺も見ている。
これはいよいよ怪しくなってきた。と、奈々美の疑いは確信に変わり始めていた。
さて、状況は明確に黒に近づいてきていたが、この先の進め方を思案していた。
さっきの女性は結局本当の堺さんが現在住んでいる施設までは知らなかった。夫婦同時に移ってしまったので、近所の人に話す人が居なかったのだ。恐らくニセの堺さんはそうしたところにつけ込んで、堺さんになりすましているのだろうと奈々美は考えていた。
「現時点でも充分怪しいけど、一応決め手が欲しいな・・・」
頭を最大限回転させながら、奈々美は改めて、その抜け殻のような豪邸を眺めた。
それにしても大層な豪邸だ。売却を考えている堺は偽物だったとして、本当の家主が住めないというのは気の毒なことだな・・・。
「そういえば・・・」
そういえば、本当の家主は、この豪邸、どうするつもりだったんだろう。突然のことだったから、何も対応できていないということだろうか。
「でも、確か堺さんはお子さんがいるはず・・・5年間も放置されているということがあるだろうか」
おそらく、ニセの堺さんが言う「子供がいる」、という話は嘘ではないのでは、と奈々美は思った。そこで嘘をつくとすぐにバレてしまうだろうし、本人確認に必要な書類を偽造できる能力があるならば、役所に行ってすぐに確認することが可能だと考えたからだ。
「とすれば・・・ほんとうの堺さんもこの家についてなんらかの対応を進めていた可能性があるんじゃ・・・?」
奈々美はほぼ反射的に三園に電話をかけた。司法書士のネットワークがいかほどものかよくわからないけれど、一番近いとしたら彼女しかいないと思ったからだ。

午前中に奈々美が堺宅を訪れてからもうずいぶん時間が経ち、時刻は午後3時ごろ。
奈々美は豊田駅にほど近くの一角にある中層オフィスビルにいた。
午後3時と言う中途半端な時間から、人通りはそこまで多くはないが、学校が終わった学生や買い物の主婦、お年寄りなんかが歩いている。たまに営業回りかなにかのビジネスマンも見かける。
5階建のオフィスビルには複数の事務所が入居していたが、その中の一つに「かない司法書士事務所」と言うのがあった。これがこのあと奈々美が訪れようとしている場所だ。
ほどなくして、三園、そしてすぐに社長の泉田もやってきた。
「社長、自らここまで呼びつける格好となり申し訳ありません。事務所に戻る時間が取れなかったものですから。あと、三園さんもありがとうございます」
「電話で話は聞いたよ・・・だけど、本当なのか?我々が相対していた、その『堺さん』が実は偽物で、恐らく地面師であると言うのは」
泉田はからすればこのお話はついさっき奈々美から電話口で聞かされた話なので、まだ半信半疑、いや疑いが8割といった所だろうか。
「私もいまはまだ『証拠』というところを持っているわけではありませんでしたが、恐らくこちらの司法書士さんの話を伺えば、間違いないかと」
「しかし、どうやってこの司法書士をつきとめたんだ?三園さんが調べたのか?」
「ええ。お年寄りとあれば、遠くに行くとは考えにくいですから。とりあえず堺邸から近所の司法書士さんを調べました。同業のよしみということで、事情を話したらここが教えてくれました。その日のうちに判明したのは、運が良かったですね」
三園は得意げに話した。無理もない、今回は彼女のお手柄だったから。
 「それにしてもいろんな会社に嘘の商談を持ちかけていたのか。とびつた所を騙すつもりだったのかな」
 そう、本日別の不動産業者に土地を売却するかもしれない、という電話が泉田に入ったところだった。だから奈々美は怪しんだのだが。
 「それ、たぶん嘘ですよ。やっぱりあの土地に1億1千万円って安すぎですから。ほら、社長確か最初に会ったときに『1億円にはなる』って言ったじゃないですか。そのあたりが値ごろ感だと思って、ウチに取引を急がせるために嘘をついたんですよ」
 不動産業者はそういう見積もりに入る前に価格を聞かれたときは、かなり保守的に話をする。見積もった結果口で言った価格より下回った場合、トラブルの元になるからだ。
 「ちくしょう。ウチだけがまんまと騙されたってわけか。なめやがって」
 泉田は顔をゆがめた。
「いえ、それをいうなら司法書士の小湊さんも騙された形ですね。こうした事案では司法書士もグル、という場合もありますが、今回については、小湊さん司法書士事務所は普通にありましたし、おそらく小湊さんも騙されているんだと思います。ここでのお話で確信が持てたら、小湊さんにも連絡しておきます。さて、入りましょうか」

三園を通じてアポイントは調整済だったため二階の受付にある電話を鳴らすとすぐに応接室に通された。
3人がけの座り心地の良いソファ2対が向かい合い、高級なテーブルが中央に据えてある、一般的だが清潔感のある応接だった。
三人が部屋に入るとほどなく一人のスーツ姿の男が入ってきた。部屋と同様にさっぱりとした印象の、40代くらいの男だった。
「お世話になっております。私はこちらで司法書士をやっております櫻井です」
四人は順番に名刺を交換すると、席に着いた。
「この度は私どものクライアントがトラブルに巻き込まれているとのことで、三園さんから概略は伺いました」
早速本題にはいると、櫻井は途端に険しい表情を見せた。
「顧客の情報をお話しすることになるので、念のためお伺いしたいのですが、柴崎町にあります、堺様のご資産について取り扱われているという認識でよろしいでしょうか」
泉田はまず事実確認をした。もし無関係の者に顧客の売買情報を話してしまったとなるとそれはそれで問題となるからだ。
「ええ。当事務所ではたしかに、そちらの仰る堺様の資産につきまして取り扱っております。具体的には、堺様にもしものことがあった際に、資産の処分方法について遺言書として預からせていただいております」
泉田は息を飲んだ。
「・・・おそらくその内容を詳らかにすることは難しいと思うのですが、事の核心に関わるのでこれだけはご教示いただければ。その内容とは、現時点での売却を進めることを可とするようなものではないという理解でよろしいでしょうか」
「はい。もちろん。堺様ご本人がご存命の間はあちらの豪邸は現存のままとすることとなっております。これは堺様自身が完全にコントロールすることは難しいですが、極力豪邸を維持するようにという言明についても、遺言書には盛り込まれております」
やっぱりだ、と奈々美は思った。あれほどの豪邸をせっかく守ってきたのだから、そう簡単に取り壊すことを許すはずがない、と。
「なるほど、それでは弊社に持ちかけられている取引とは辻褄が合わないですね・・・ちなみに、堺さんは今どこに?」
そう、今回の事案の中心にいるはずの堺本人は、いまだ三人のいずれの前にも登場していない。
「・・・実は、日野市のとある老人ホームに夫婦共おります」
「外出は可能な状況なんでしょうか」
泉田が恐る恐る訪ねたが、櫻井はうつむきながら首を横に振った。
「いえ。それどころか、ここ1年程度は寝たきりで、ここもとは意識の混濁も多くなってきていると伺っております。半年くらい前から、ご長男様が電話を通じて間に入ってコミュニケーションをとるようになりました。もう、ご本人に会ってもお話は伺えませんので」
応接室に重い空気が流れた。奈々美と泉田が会った「堺」が偽物と判明した瞬間だった。
「そうか、おそらくあいつはその状況を知った上で、『本物』が現れるリスクが低いことを確認した上で、今回の詐欺を実行したんだな・・・」
「話に伺うと、公文書や印鑑まで偽造している点から、相当プロの組織ではないかと思います。堺様はご子息もみんな遠方に住んでいて、空になってしまったあの家の様子を伺うタイミングはなかったので、誰も気づかないうちに、住み着かれていたか、もしくは皆様にお会いする時だけ、あのお宅で『住んでいるフリ』をしたのかもしれませんね」
司法書士の間では、こうした手口は珍しくないのだそうで、櫻井は三園からの少ない情報ですぐに合点が行ったらしい。
「そういえば、小湊さんにも連絡しておきました。おそらく偽造された文書を保管しているはずなので、証拠として扱えるかと思いまして。流石に警察の手にかかれば、偽造であることもわかるでしょうし」
「そうだな、未遂とはいえ、これは立派な詐欺だし、住居不法侵入と公文書偽造にも当たる立派な犯罪だな。帰ったら警察に連絡しよう。明日の打ち合わせの前に小湊さんにも事情を話して、警察も同行させてその場で捕えてもらおうか」
泉田は最も騙された分怒り心頭という様子だった。明日の取引を大捕物にしてやると息巻いた。

しかし、残念ながら泉田や奈々美が期待してた大捕物は起きなかった。
翌朝、アポイントのリマインドのために奈々美が電話を入れたが、そもそも電話が繋がらなくなっていた。もしやと思って堺宅に行ったところ、そこは正にもぬけの殻。誰もいないし、誰が来るということもなかった。
そう、『堺』どこかで泉田たちの動きを察知して、行方をくらませたのだ。もともと謎だった『堺』がその後不動産ステーションに姿を表すことはなかった。
堺さんの豪邸は守られたが、真相は謎のままだった。

一週間ほど経って、奈々美は三園と不動産ステーションからほど近い喫茶店にいた。
かわうそカフェにしようか悩んだが、話の内容がかわうそには似つかわしくないと思い、普通の喫茶店で落ち合った。
「結局真相は謎のまま。古い刑事ドラマみたいだなぁ。って、実際に見たことはあんまりないけど」
古い刑事ドラマは真相がわからないまま終わることが結構ある、そんなよくわからないイメージを奈々美は持っていた。
「地面師は最近司法書士界では警戒されている詐欺なのよ。ほら、本人確認のところで気づかずに証明してしまったら、犯罪に加担してしまうことになるから。気づかずにやってしまった場合は司法書士は罪には問われないけれど、信用に関わるし、何より地面師に協力してしまうなんて絶対に避けたいですもの」
「でも、誰だったんですかねえ?あの『堺』は」
「地面師のなり手はいろいろな人がいるわね。暴力団や半グレ集団のこともあれば、アジア系なんかの外国人が関わっていることも多いそうよ」
警察も、一応小湊さんが持っていた偽造文書を押収したものの、足がつかないように作られていたようで、そこから捜査が進展することもなかった。今回は未遂で被害もなかったことから、残念ながらここで幕引きとなってしまいそうだ。
「それにしても残念だったわね。宅地造成してうまく売れたら、結構な歩合が入ったんじゃないの?」
「そうなんですよぉ。8件を4千万円で売ったとして、3億2千万円でしょ、利益でも5千万円くらいは残る想定だったんでぇ、いくらかはボーナスにはねそうだったのに・・・あ、でも、一応社長には感謝されてて、少し上乗せしてくれるみたいですよ。あとはこれからこの弱みに付け込んで、いろいろやってもらおうかなぁ。『会社を救った女』として」
 犯人は取り逃がしてしまったが、一応堺さんの豪邸を守ることができたので、実は奈々美は満足していた。櫻井も堺の子供たちと連携しながら、これまでより注意深く対応するとのこと。家の状況も子供たちが協力して定期的に様子をみにいくようになったようで、もう同じような事件に巻き込まれる心配もないだろう。
「あまり調子に乗らない方がいいわよ。だいたい、宅地にしようっていったのあなたでしょう?」
「そ、それはそうですけど・・・」
「だいたい、もともとこの事件の真相に気づいたのは、誰のお陰だったかしら?」
「わ、わかってますよ。それについては社長も感謝しているんで、きっと今後たくさん仕事をよこしてくれますよ」
取り繕うように奈々美は言った。それとも彼氏の方が良かったですか?と言おうと思ったが、いよいよ怒らせてしまいそうだったので、黙っておくことにした。
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