「第9話」リースバック 宅地建物取引士 奈々美の奮闘記 

々美は寒々しい高尾山から更に奥の陣馬山を目指していた。本当だったら真冬は奈々美程度の山ガールではそこまで見所も多くないので、去年だったら高尾山の頂上まで一番ゆるいルートで行って終わりだっただろうな、と思いながらいつもより気持ち早歩きで歩いていた。
今日は高尾山までのルートだって観光客だらけのメインルートではなく、ややハイキング色の強い裏ルートを歩いた。それもペースは少しアップして。
「11月の自分をまずは取り戻さないと・・・」奈々美は心でつぶやいていたつもりだったが、早歩きで息が上がるなかでいつも間にか、時折声となって冬の空の下に漏れていた。
奈々美は年末年始に油断した自分を後悔していた。そして「後悔先に立たず」という言葉の本質を改めて認識していた・・・気がしていた。お餅を食べ過ぎたのか?おせちを食べ過ぎたのか?それともお酒を飲み過ぎたのか?炬燵でごろごろしすぎたのか?おそらく実際にはその全ての要素が今の奈々美についた脂肪となった。
しばらくはほぼ毎朝の体重確認の中で、「誤差の範囲内」と言い聞かせていたのだが、2月に入っても変わらない数字を見て、ついに「正月太り」をした自分を認識したというわけだ。認識した上で、奈々美はもともとの趣味である「山歩き」をグレードアップさせて、膨張した自分を引き締めることにしたわけだ。
普段はほぼシーズンオフに入る山歩きだが、今年は雪に気をつけながら、しかもいつもより少しハードなコースとペースで冬枯れの森の中を突き進んでいる。
この体形は高尾山を往復するくらいじゃ事足りないと、高尾山の観光客に辟易している「本気の山歩き」には密かな人気の「奥高尾」に繰り出しているというわけだ。
冬枯れの山の中をずんずんと奈々美は猛進する。

翌日の奈々美は完全なる筋肉痛で週初日の勤務を迎えた。
通常不動産屋は土日に客が来るので、奈々美の休日は普通の人の平日になることが多いのだが、最近はカレンダーの巡り合わせで土日休みが続いている。
友人と予定を合わせやすかったりするのはいいが、社会人になって改めて「ブルーマンデー」という言葉の意味を理解した奈々美だった。
今日はその上筋肉痛で、正直ベッドからも出たくないほどだったが、ほどなく出社時間を迎えたので、すごすごとオフィスにやってきた。
その日は午前中に一人のお客さんがやってきた。20代半ばか後半くらいの男だった。「お客様カード」によると、名を月形というらしい。
「実は家の処分方法に迷ってまして、困っているのです」
月形はうつむき気味に話した。困っているだけでなく、幸に見放されたような雰囲気を漂わせていた。
「家とはご自宅ですか?」
奈々美は月形のもの悲しい雰囲気に流されないよう、努めて元気に問いかけた。
「はい、新築を購入して丸3年ほどになりまして、まだまだ新しいのですが・・・」
月形はもそもそと話す。どうも歯切れが悪い話し方をする男に、奈々美は問いかけを続ける。
「そうですよね、3年というと新築としては新しいと思うのですが、またどうして売却しようと考えているんですか?」
奈々美の問いに対して、月形は心なしかさらに暗くなったように見えた。奈々美は背景が白黒になってしまったように感じた。
「実は・・・子供ができたのを機に購入した家なのですが、この度色々あって離婚を考えておりまして・・・別々に住むことになったのです。私一人で住むには広すぎるのと、ローンもあるので処分してしまった方がいいかと考えているのです」
「・・・なるほど。申し訳ありません。混みいったことを聞いてしまいました」
奈々美はやってしまったと思った。このパターンは奈々美には初めてだった。気を悪くしてしまっただろうか・・・。
「いえ、いいんです。というより、おそらく家の処分方法を相談する上で、ある程度私達のプライベートも話さなければとは思っておりましたので」
「といいますと?」
奈々美は不安そうに男に聞き返す。いや奈々美は本当に不安だったのだ。結婚どころか最近彼氏からも遠ざかっているのに、結婚して新居を買っただけにあきたらず、離婚したために処分方法に困っているとは・・・人生何フェーズ先なんだろう、私にベストソリューションを提供できるのだろうか・・・だんだん奈々美まで暗い気持ちになってきた。
そんな奈々美の困惑をよそに、月形は話を続ける。奈々美はせめて話を真面目に聞くことにした。
「そう、私たちは3年前に子供が生まれたのを機に一軒家を購入しました。お恥ずかしながら計画的ではない形で子供が生まれましてね。まあそれでもこれまで何とかやってきたのですが、お金に余裕がないのと、今回実は私が日本を離れることになったこともあり、止む無く別れることにしたのです」
「なるほど、それで月形様はご自宅を手放すというわけですね。しかし、奥様はどうなさるのですか?」
「はい。妻は子供を引き取って、どこかに住む予定です。よろしければ妻の住処についてもお手配いただければ幸いと思っています」
「そうですか。それでは今後の進め方になりますが・・・」
奈々美は努めて冷静に、家の売却手続きの進め方、妻の物件探しの進め方について話していった。

その週の休日、奈々美は再び山の麓にいた。といっても今回は「普通の」高尾山口だ。ケーブルカーの麓側の駅の前で、奈々美は駅を背にして立っていた。
その日奈々美は高校時代の友人と一緒に、軽い高尾山観光に行こうというところだった。本当はショッピングの予定だったが、少しでも運動をするため、友達に頼み込んで急遽予定を高尾山に変えたのだ。
正直1人だけでの高尾山山歩きに飽きてきていたこともあった。かといって遠くの山に行く暇はなし。
程なくして友人がやってきた。彼女、島津絢香は高校時代の奈々美の高校時代からの友人だった。
「久しぶり。ごめん待った?」
「んーん。いまきたとこ。こっちこそ、急に予定変更してごめんね」
「急に高尾山なんてどうしたの?今年は雪がないからいいけど」
「まあ山歩きはもともと趣味だから・・・」
歯切れ悪そうに返す奈々美の魂胆を、島津は即座に見抜いた。
「どうせ、正月に太ったから運動してるんでしょ」
「うわ。その通りすぎる。怖っ」
思わず奈々美はのけぞった。
「あんたそれ、ちょいちょいあるじゃない。正月開けたらやたら本気出して運動するやつ。昔も真冬から突然ランニング始めたりしてね」
「うう・・・見事にやってしまいましてですね。飲みすぎて食べすぎてしまいましてでして」
変な日本語になりながら奈々美は言い訳にもなっていない言い訳を話す。
「まあいいや。それにしても真冬でもすごい人ね。今日はまた天気がいいし、それともみんな正月太りからのカムバック希望かしら」
「もう、やめてよぅ」
「ははっ冗談冗談。じゃ、行こうか」
そういう島津だが、格好は準備万端で、いわゆる「山ガール」という感じの風貌だ。まあ、それは奈々美も一緒だが。
二人は人の流れから外れて、坂道に向かう。
今回は、友達と二人ということで、さすがに登山コースではないが、それでも乗り物は使わないと約束した上で待ち合わせた。島津は今でも付き合いのある高校の友人の中では最もアクティブで、大学でも体育会のラクロス部に所属していた。だから、この誘いにも少なくともついてきてはくれるだろうと思い、急遽買い物の予定の変更を願い出たというわけだ。
二人は早春の高尾山のジグザグ道を登る。
「寒いと思ったけど、天気もいいし歩いていると結構あったまるね」
「そうだね。まあありがたいことだけど」
いわゆるメインコースの高尾山は、ケーブルカーでスキップする場所が、実は一番ハードだ。二人は狭めのジグザグ道をよいしょ、よいしょと登っていき、30分ほどしてケーブルカーの上側の駅についた。
そこからは道が整備されていて、さすが観光地高尾山といった感じだ。それでも二人のような山歩きコスチュームの人もいるが、中にはヒールにスカートの服装のひともいる。
道が緩やかな坂に変わったところで、何気なく奈々美は尋ねる。
「そういえば、今日は旦那さんと子供はどうしたの?」
この日は奈々美には珍しいことだが、世間でも休日の日だった。島津は結婚して、3歳の子供と旦那がいることは承知していた。
そもそも彼女にとっての休日に一緒に遊ぶことに奈々美は当初気が引けた。しかし、工程を山に変更したのは奈々美だが、元々の買い物の予定をオファーしてきたのは島津のほうだった。
「うん、いいのよ旦那は」
その言い方が妙に引っかかった。鈍い奈々美でも感じ取るものがあった。
「・・・何かあったの?」
「うん、ちょっとね。まあ、家庭の危機っていうか・・・ちょっと正直この先のこと悩んでいるんだ」
平坦な道を歩きながらぽつりと島津は言った。
「え?」
「ちょっと、まだ決めてはいないんだけど、離婚を考えているの」
背中がさわさわするような感覚とともに「あぁまた・・・」という感覚が奈々美の中に流れた。
「旦那が何かあったの?」
「ううん!違うの、浮気とかそういうんじゃなくて、もうね、育児と家庭と、私仕事もしているでしょ。疲れちゃって」
島津は即座に旦那に疑いを向けた奈々美に対し火消しした。
「全部をうまくやるのが本当に難しくて。もちろん子育ても大変なんだけど、それ以上に、なんだろうな、夫婦で仲良くやるのがね、難しいし、疲れるんだよ」
島津は的確な言葉が見つからない様子で話す。その感覚は未婚の奈々美には分からなかったが、でも、何となくわかる気もした。
「これがずっとずっと続くと思うとね。なんだろ、頂上のない山みたいな、いつまでも息苦しいような、そんな気がするんだよね」
「そっか。もう決めたの?」
「ううん。少し悩んでて、まあ今日は正直そういう人生相談を聞いてくれってのもあったんだけど、それに加えて、いや、奈々美に話したからって解決するわけではないのはわかっているんだけど、ちょっと悩んでいるところがあって」
なぜ未婚の私なんだろ、と奈々美は思っていたが、次の言葉で判明する。
「実は、まだ買ってそんなに経っていない家をどうしようかと思って。離れ離れになっちゃうとなると、あの家はもったいないし、かといって売ったらローンが残っちゃいそうなのよ。どっちもローン残しながらそれぞれの生活を維持するのはどうも難しそうなのよね」
「ああ・・・」
デジャビュに陥ったような感覚を奈々美は覚えた。
「売っても充分な価格に乗らないってことなのね?」
「そうなのよ。もうしばらくはかえしてからでないと、全然売却額の方が低くなっちゃうみたいで。まさか買ってすぐこんなことになるとは思わなかったしなぁ」
話しているうちに二人は頂上手前の神社まで来た。特に熱い信仰心があるわけではないが、とりあえず二人は一通り拝んだ。
「ほんと神さま助けてくれよぅって感じ。っていっても自ら蒔いた種だけど」
ははっと島津は笑った。
「せめて、片っぽが売却した後も住み続けられるならなぁ。かといって今のローン額を払うのは難しいし・・・特に私は、子供のこともあるから引っ越しはしんどいんだよねぇ」
子供はもう保育園に行っていた、小さいながら友達もいるし、できれば「離婚してお引越し」というのは避けたいというわけだ。
「そっかぁ、旦那と我慢するっていうのは本当に無理なの?」
奈々美はそれが空気を読めているのかどうかわからないまま聞いた。
「うーん・・・そうだねぇ」
「ずっと続くって言ってもさ、子供が大きくなったら状況も変わるんじゃない?もう少し負担も変るんじゃないかな・・・って子供のいない私が言っていいのかは分からないけど」
別に二人の仲をつなぎとめたいわけではないが、そこまで致命的な理由はなさそうな島津の様子を見て、時期尚早なんじゃないかと奈々美は感じたのだった。
「まあ、別に浮気したとか、家帰ってこないってわけではないんだけどね」
意外なほどに島津の心は簡単に元に戻り始めた。夫婦ってこんなものなのか、と奈々美は不思議に思った。
「やっぱ、家売るのは損かな・・・」
「まあ無理に二人を繋ぎとめようってわけではないけど、負担が想像以上に大きいのは確かだね。ゲスな言い方だけど、金銭面ではかなりマイナスだよ」
「そっかぁ」
話しているうちに二人は高尾山の頂上の目前まで来ていた。
雪がなくて、晴れててよかったな、と奈々美は思った。
高尾山の頂上も冬晴れの空だった。大した高さでなくても、広大な青空が広がり、遠くには山梨の方の山々が広がっていた。

翌週、奈々美は出社すると早速外出の準備をした。正直直行でもよかったなぁと思っていたが、月形の情報が入ったファイルを取りに出社したのだ。外交に必要なものを一通りカバンにまとめると、奈々美は月形の待つ家に向かった。
月形のうちは中心部からは離れた八王子の郊外にあった。このあたりは最近宅地開発が行われたところだった。小さい頃は林だったな、と奈々美も朧げながら、記憶に残っていた。八王子あたりはこういう場所が多い。ひと昔までただの林だったのに、いつのまにか街になっている。森林を人が住める街にするのは奈々美の仕事でもあったりするのだが、もともと森にいた動物はどこにいったんだろう?と思うと、何だか90年代の狸のアニメ映画の映像を思い出していた。
今回の案件はそんなに難しくないだろうということで、奈々美は1人で対応することになった。離婚する家族の家を売って、そのあと奥様の賃貸物件を斡旋して終わり。確かに複雑な家庭環境に比して、不動産屋の仕事としては到ってシンプルだった。
私情を挟んではいけない。私の仕事は家を売る仕事。。そう言い聞かせているうちに、知らされた住所の月形の家の前にたどり着いていた。
よくある大型分譲の一つという感じだった。右も左も同じような家、庭や表札に頼りない個性を映している、でもその没個性性を除けば、東京都内ではなかなかない広々とした物件に見えた。
奈々美は入り口の門の前にあるインターフォンを鳴らした。
「はーい」
月形とは違う女性の声がした。
「すみません。不動産ステーションの若葉と申します。物件のご案内に伺いました」
奈々美は「住宅の売却」と言い出しそうになったものの、何と無く気が引けて、ぼかした表現をインターフォンに当てた。
「はい、いま開けます」
程なくして、玄関のドアが開くと、若い女性が出てきた。
「すいません、お約束していた、若葉です。本日はどうぞよろしくおねがいいたします」
「はい、お待ちしておりましたよ。中にお入りください」
年齢は奈々美と同じくらいに見える女性だったが、ずいぶん落ち着いた印象与える女性だった。
奈々美は女性についていき、応接のような場所に通された。いまどき応接があるなんて珍しいと奈々美は思った。
「よろしくお願いいたします。私は月形明日菜と申します。この度は私たちのわがままに付き合わせて、ごめんなさいね」
「いいえ、こちらこそ本日はお時間いただきありがとうございます。あれ、お子さんは?保育園ですか?」
「ええ。夫は仕事で、今日は私一人です。ほんとうに、人が代わる代わるでごめんなさい。話進めづらいかしら?」
「旦那様とお話しされているようであれば大丈夫です。むしろ本日は奥様のご希望も伺いたかったところですし」
「そうなの。私と夫、月形は大丈夫です。本日はこの物件の見積もりを取る上で確認を行うんでしたね」
明日菜はおどろくほど物腰柔らかで、妙に落ち着いていた。こういう時は女が強いものか、それとも状況が変わったのか?奈々美は訝しがりながら話を続ける。
「はい、まず、ローン状況について伺いたかったのですが、残債はどれほどありますか?確か、ご夫婦の連帯債務と伺いましたが」
「ええその通りです。私はいまは専業主婦なんですけど、家を買った頃は普通にサラリーマンだったので、そういう形にしたんです。そのあと子供が生まれて、育児ノイローゼで体調を崩しちゃって仕事はやめたんだけど。。今となっては、連帯債務は失敗だったな・・・」
確かに今は大丈夫そうだが、線の細そうな印象のある女性ではあった。「かよわい」という言葉がふさわしい様子。
「なるほど、では実質的には旦那様がお支払いしているということですね」
「ええ、それでも、えーと3年と8ヶ月払っていて、残りはまだ2650万円くらいね。夫が今のまま仕事をしていたら返せるんだけどね・・・」
明日菜そういうと、今日奈々美と会って初めて寂しそうな顔を覗かせた。奈々美にはその真意ははかりかねた。
「といいますと、旦那様は仕事を辞めてしまうのですか?」
「・・・実はね、海外で働きたいんだって。あの、NGOっていうのかな。それを立ち上げて、海外で貧しい人を助けるんだって。そのために仕事を辞めてしまったの」
「なるほど」
よくある離婚話かと思ったが、どうも毛色が変わってきているのを奈々美は感じ取っていた。
「本格的に思い立ったのはちょっと前だったんだけど、もともと考えるところはあったみたいで、確かに付き合っている頃も、夢ってほどじゃないけど、貧困国を手助けしたいという話はしていたのね。それが最近になってどうしても世界の役に立つ仕事がしたいって。だからね、もうここにはいられないって・・・」
明日菜は寂しそうな笑顔を乗せて、つとめて冷静に話した。奈々美は黙って聞いていた。
「それで、この家を売らなきゃならないのもそうだけど、危ない地域に行くから、一緒にはいられないって。そして、私たちを養うことができなくなるから・・・」
「・・・そうですか。複雑な事情がおありなんですね・・・」
「ええ。私も正直離れたくはないんだけど・・・とてもじゃないけど子供を連れてアフリカなんて行っていられないし、なによりお金がないのよね。なんでお金がないのに行っちゃうの?って思ったりもするんだけど」
明日菜はいつのまにか早口になっていた。溜め込んでいた思いを一気に吐き出すように話した。
「でもね・・・応援したい気持ちもあるんだよね。結局離れ離れになることはOKしちゃった。子供には悪い気もするけど、何とか私一人で育てることにしたよ。だけど、離婚はやめてもらったんだ。当分離れ離れになっちゃうけど、お願いだから籍だけはそのままにしてって」
「・・・そうだったんですか」
奈々美は明日菜の複雑な表情をようやく理解した。寂しさは絶対に消えないけど、どこか満足したような。吹っ切れたようなそんな感じ。
「というわけで夫婦関係の方はいいんだけど、家はどっちにしても何とかしなくちゃならなくて、私じゃとてもじゃないけどローン払えないし。本当は保育園とかあるから、ここに住み続けたらとは思うんだけど」
「なるほど・・・かしこまりました。ちなみに、ローンはどれくらいの長さですか、あと購入時の価格は?」
「えーとだいたいだけどね。2800万円くらいだったかな。まだほとんど払えてなかったんだよね・・・」
奈々美は渋い顔を隠しきれなかった。熟練者じゃなくても、不動産を少しかじっただけでもわかる。厳しい話になりそうだと。
「かしこまりました。ちょっと方法を考える必要がありそうですね・・・」
「・・・え?」
「あのですね、大変申し上げにくいのですが・・・精査はして見るのですが、おそらく今伺った話を聞くかぎり、おそらく売っても2400万円に届かない可能性が高いと思うんです。もちろん弊社としては精一杯頑張らせていきますが・・・」
それはつまり、住宅を売却した後もローンが残ってしまうことを意味する。残された明日菜は家賃とローンをダブルで支払う必要が発生するというわけだ。
「そんな・・・」
「ごめんなさい。私自身は今の話聞いてすごく頑張りたいんですけど・・・こればっかりはどうしても・・・ただ、ちょっと持ち帰らせてください。少し方法考えます。とりあえず、ただ売るっていうのはちょっと待ってください。ちなみに、旦那様の出発の時期は決まっていますか?」
「あと1ヶ月半後くらいかな・・・でも彼、仕事を辞めちゃったから」
「わかりました。売値を出して見るとともに、ほかに方法ないか考えてみます。ちなみに、もし方法があるならば『家を出たくない』と思っているということでいいですよね?」
「ええ・・・でも、売ることすらできないんだから、それは本当に無理しなくていいけど。ローンが残っちゃうのは困ったな。ローンと家賃、両方払えるかしら・・・」
明日菜の顔は一気に暗くなった。八方塞がりといった気分なのだろう。
「本当に何とかします。絶対に。ちなみに、月々のお支払い、どれくらいまでならとかありますか?」
「一応、仕事がもう一度決まったので、8万円くらいなら・・・」

「・・・そういうわけで、離婚は避けられたわけですが、家の処分方法の方が問題というわけでして」
帰ったあと奈々美は改めて売値を推定してみた。奈々美の懸念は見事に当たってしまった。少し高めで良い買い手がついたとしても、駅近物件というわけでもなし、250万円はショートしそうだった。
少なくとも正攻法は難しいということで、奈々美は泉田に相談した。
「よくて2400万円まで伸びるかどうかというところだと思います。それも買い手がうまくつけばという感じです」
「そうだなぁ、ウチでただ買い取るとなると・・・うーん少し気持ちを込めても2000万円というところだな」
これでも泉田なりに頑張った値段であることを奈々美は感じ取っていた。とはいえこれは仕事。赤字になるような商売はできない以上、どうしても限界が存在する。
少しの間を置いてから、泉田が尋ねる。
「・・・その奥さんは、可能であればそのまま住み続けたいといっているんだよな?」
「ええ。まあ売ってしまうので、無理だというのは理解しているようですが、そもそもこれでは売ること自体難しそうですね」
「いや、その方がやりようがあるかもしれないな」
「・・・え?」
「若葉はまだ取り扱ったことがなかったな。『リースバック』というスキームを使えば、奥さんの家賃支払い力次第では、何とかなるかもしれないな」

リースバックは、このように単なる売却では不調に終わってしまいそうな時の対応手段の一つです。これは売却した住宅について、改めて買主と「賃貸契約」を結んで、そのまま売却した住宅に住み続けることができる手法です。

売り手にはもちろん、住み続けられることがメリットですし、残債が残る場合には、家賃と支払い額を調整することで、無理に新たな物件を探すよりトータルの負担を減らせる可能性があります。

もちろん引越しの手間がかからないのもメリットと言えます。買い手は買い手で自動的に家賃収入が確定し、不動産運用がそのままできるようになります。うまくいけば、直ちに家賃収入が入ってくるメリットも加味し、少し家賃を割り引いてもらえることもあるようです。

一般的に問題となるのは家賃の水準と、そしてなにより「買い手が見つかるかどうか」なのですが・・・。

「奥さんは何かお仕事しているのかね?」
「今は仕事についているみたいで、月8万円くらいなら払えるそうです」
「8万円ねえ。・・・」
「あの辺て、あれくらいの貸家いくらくらいですかね?」
「そうだなぁ、、そんなに広くはないんだっけ?」
「29坪で、4LDKでロフトなし」
「まあ、賃料相場は9万円ちょっとかな。  細かい準備が必要ないし・・・。そうだ。定期とかにしようか。それだったらこっちも都合つけやすいし。それなら8万円でいいだろう。5年くらいでどうだ。それだったらウチで買い取って貸そう。ボランティアじゃなくて、ギリギリ採算に乗りそうだ」
定期とは定期借家のことで、予め賃貸期間を決めておく契約のことを指す。期間が経過したら持ち主があらためて住むことを承諾しない限りは引っ越さなければならない契約だ。そのかわり、家賃が若干割り引かれる傾向にある。これは、持ち主が予め空き家になるタイミングが読めるため、その後の対応がしやすくなるためだ。
「なるほど。では5年の定期借家契約でリースバックの方式で家賃は8万円ですね。あ、そもそもの買値は?」
「この方式なら、安定的に即座に賃貸化できるから、2450万円まで出そう。毎月8万円の賃料が貰えるなら5年後には480万円になる。それはつまり5年後に2000万円で買ったことと同じになる。」
こちらも金利がかかるので、単純にそうではないが築10年以内の物件は2400万円~2500万円以内で売買できそうだし、仮に5年後にリノベーション費用がかかってもなんとかいけるだろう、また5年後に奥さんが買い戻すこともあるかもしれないと泉田は計算したのだ。
「おお!なんだかうまくいきそうですね。不動産ステーションのビジネスにもなるようでなによりです」
「まあ損益はぎりぎりだけどな。ほとんどトントンだな。ただ、これだったら5年後に奥さんが再度引っ越す場合にも仕事ができるかもしれないからな。人間の収入状況なんてすぐ変わるもんだし、その頃にはお子さんが小学校に入っているはずだから、いまよりか時間的にも余裕が出るだろう」
日本の養育費は小中の間、私立に入れなければこの期間は学費がかからないので、実は保育園・幼稚園の時期よりも安上がりなのだ。また高学年になれば手もかからなくなってくるので、仕事もしやすくなることが多い。
「早速提案書準備して、近々ご夫妻に提案していきますね。もう離婚はなくなったみたいだし、ご夫婦がいらっしゃるタイミングの方が話が早いですかね」
「そうだな。可能な限り了承に近いところまでもっていってしまおう」

そこから次の日曜日。奈々美は再び月形家の前にいた。そろそろ冬の出口が見えてきそうな、時期にしては暖かいよく晴れた日だった。
前と同じようにインターフォンを押すと、今回は夫の方が出てきた。奈々美自身もお客様カードを見て覚えたところだが、夫は芳雄という。
「何度も足を運んでくださってありがとうございます。どうぞおあがりください」
芳雄は明日菜同様、丁寧に奈々美を迎え入れた。
応接に入ると、そこにすでに明日菜がいた。三人は軽く挨拶をすると、応接にある席につく。
早速芳雄がばつの悪そうな顔で口を開いた。
「先日はどうもすみませんでした。私が冷静になれていなくて、離れ離れになるなら離婚しかないのかなって、それに母子家庭の方が手当があったりもするので、それはそれでなんて考えちゃって・・・。別に仲が悪くなったわけでもないのに、妻のことをよく考えてあげられてなくて、不動産屋さんも戸惑わせてしまいました・・・。妻からお聞きだとは思いますが、結局離婚はなしということで何とか単身赴任?会社勤めじゃないから表現として適切なのかよくわからないですが、それでやっていこうと思っています」
奈々美は心から安心した。明日菜は先日ああは言っていたが、夫、芳雄から直接話しを聞くまで、何と無くまた話が変わるんじゃないかと不安だったのだ」
「それがよろしいと思いますよ・・・って私は結婚していないのでよくわからないですが、幸い奥様も今はしっかり働かれていると伺いましたし、離れ離れだからって離婚しなければならないということはないと思います」
「ありがとうございます。しばらくは離れ離れになってしまいますが、どこかのタイミングでまた一緒に暮らすタイミング見つけようと思っています。ちょっと時間はかかるかもしれませんが、私も一生危ない国にいる、というわけでもないので」
そう話す芳雄を明日菜は寂しさと安堵が混ざったような顔で見ていた。
「それで、私がここにすみ続けることができる方法を見つけたと伺いましたが、どのようなお話か伺ってもいいかしら?」
「そうですね、それでは早速」
奈々美は用意しておいた見積もりを含んだ提案資料を目の前の2人に配った。
「今回はですね、リースバックという手法をご提案したいと思います。一旦弊社にこちらのご自宅を売却いただきます。その上で、弊社と奥様の間で賃貸契約を結ばせていただきます。そうすることで、奥様は賃貸物件として住むことができるのです」
奈々美は資料に沿って、その場合の売却金額や家賃、ローン側の対応方法などを説明した。
「なるほど、こうすれば私は賃貸としてここにすみ続けられるんですね」
「家賃払えそう?」
「そうね、月8万円に収まりそうだし、これならなんとかなるんじゃないかな」

「そうですよね。」
奈々美は安心した。
「よかったです。これで保育園もこのままでいいし、胡桃も友達と離れ離れにならなくてすみます」
その胡桃ちゃんはいま別室でお絵かきをしている。もうすぐ4歳の女の子とのことだった。
「引越しもしなくていいし、お金の都合がつくならこのほうがいいね」
芳雄も納得の様子。奈々美が用意した資料を読みまわしていた。
「あとは5年間の定期借家か・・・この時期になったら色々状況も変わるかもしれない。明日菜の仕事が軌道に乗ってくるかもしれないし、僕は僕でもう少し安全なところにいるか、はたまた日本に帰ってきていることだってありえる。2人の住み方はその時また検討しよう」
「でももう離婚するなんて言わないでね。お金のことなんてなんとかなるんだから。こんな風にね」
「そうだね。今回は僕が焦りすぎたよ。本当に悪かった」
こんな仲よさそうな夫婦でも離婚の危機が見え隠れしてしまうんだから、結婚生活というのはなんの変哲のない日常でありながら、その日常の維持が大変なんだ、と奈々美は2人をみながらしみじみ感じた。
そして5年後に芳雄の夢を叶えながら、2人と胡桃ちゃん3人が一緒に暮らせるような方法が見つかればいいな、とも思っていた。
あ、そういえば私の友人はどうなったんだろう・・・。

しばらくして、いよいよ春の陽気な空気が街を満たす頃、奈々美は再び島津と会うことになった。
奈々美は結局4月目前の最近になってようやく正常値に戻ってきていた。だから今回こそは普通のショッピングだ。
新宿や渋谷・・・は遠くて面倒なので、2人は八王子の近くにある立川にいた。高校時代から2人で遊ぶ時は立川が多かった。この辺を地元とする学生には、正直新宿や渋谷は遠いのだ。
駅ビルや(どうせ買うものはあまりないが)駅に直結しているデパート群を一通りうろついたあと、2人は駅ビルの上方についているレストラン街で遅い昼食にした。
おしゃれな洋食・・・とは2人ともいわず、あれこれ悩んだ末にお好み焼き屋に入った。買った服に匂いがつかないか心配だったが、「ここは焼きあがったものが出てくるタイプの店だから大丈夫でしょ!」と島津が行ったことで突入が決定した。

「それで、今日は旦那は?」
「今日は仕事。休日出勤ってやつ。子供は実家が見てるよ」
「そう、そのあとどうしたの」
「何が?」
「このまえ離婚するっていってたでしょ」
「ああ、そういえば」
島津は前回の話を完全に忘れていたようだ。それほど本気に考えているわけではなかったのだろう。
「そうね、まあ、もう少し頑張ることにしたわ。最近気づいんただけど、私実家近いからさ。実家を頼ることで息抜きしたことにしたの。実家の方も孫に会いたがるから、ちょうどいいかなって」
島津の実家は北八王子という駅の近くにある。東京都は思えない電車の本数の少なさではあるが、距離的には島津の住むところと近い。車さえあれば、どうとでもなる距離だ。本日もその北八王子で島津の両親が孫相手をしているというわけだ。
「まあ今日は旦那が仕事だからこうしているけど、また最近は休みの日はちゃんと一緒にいるようになったよ。ほんと。冷静に考えたら離婚ないわ。お金もないし。完全1人で子育てと仕事とか無理無理。旦那も不満言ったら少し手伝ったりするようになったし。とりあえずこれでいいや」
「なんだ。そんなに本気じゃなかったんじゃない」
綺麗な円形で運ばれてきたイカ玉を頬張るついでに奈々美がいった。
「へへ。ごめん。ちょっと誰かに話して見たかったってところはあったかも。でも私結婚早かったから、話せる人も奈々美くらいしかいなくて。それに家、不動産としての家のことを気にしていたのは本当だし。まあでも、家の処分が無理ってわかって、こりゃもう一緒にいるしかないなって思ったよね。そう言った意味ではよかったよ。参考になった」
「まああの程度で役に立つならいいけど。こっちも無事カムバックしたし。体重が」
「そういえば、確かにこのまえ高尾山登った時より痩せたかも」
「いまごろお世辞言われても遅いっすよ。しかもお好み焼き食べているときに・・・」
とはいえ今回は二件の夫婦のピンチを救った、ということで奈々美はなんだか満足していた。一方で奈々美自身が夫婦の形について本気を出して考えるのはまだ当分先になりそうだ。何と言っても相手(候補)すら全く見つからないのだから・・・。

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