「家を売る」という選択をする人には、大体ざっと二種類いると思うのです。
何かやむを得ない事情で、どうしてもそこに住めなくなってしまって、悲しい理由によって家を売る人。
もうひとつは、何らかのうれしい理由により家を売る人。
結婚して20年になる夫の父親が病死し、そのあと義母がひとりで暮らしていくには田舎だしということで、長男である夫と、その妻である私が、義母と同居することになりました。義母とは別に仲が悪いわけではないし、私の両親は早くに他界しているので本当の両親のように思っています。ですから、その事実自体は構わないのですが…いくぶん困ったことがありました。
それは、家が狭いということなのです。
私と夫の間には子供がおらず、ずっと夫婦二人で暮らしてきました。それほど広くはありませんが、一戸の主としてマンションを買って、適度な生活を送ってきたつもりです。
ですが、この家は「二人で住むため」の家でした。
そのせいで、高齢の義母と同居するには危険な段差も多く、必要十分な部屋数と設備しかそろっていないのです。
私たちはこの家がとても気に入っていましたが、三人で暮らしていく、そのために、私と夫は家を売る決断をしなくてはなりませんでした。
まあ、その決断に至るまでには何度も何度も話し合いを重ねたわけなんですけれど。
同居しないことも考えましたし、老人ホームだって選択肢にありました。だって家を新しく買うことになるのですから。
結局かかる金額はどちらにしても多額なのです。
でも、やはり、なるべくなら、家族と一緒にというのが義母の希望でした。
そして――私たちは「人生において最も大きな買い物」の二度目をすることになりました。
いざ、家を売ろうと決めると手続きも多く、引っ越しの手配などもあり案外とばたばたした生活が続きます。私たちにとってとても幸いだったのは、マンションが思っていたよりも早く、高く売れたということでした。都内にあるマンションで、使用年数も長い割にきれいだということで、もちろん買値よりは格段に安いものの、それなりの頭金にはなったのです。新しいマンションは、バリアフリーを売りにした所。都内の一等地とはいきませんでしたが、義母のことを考えてそれほど騒がしくない、少し外れた郊外の場所を選びました。
「とりあえずはお疲れ様」
夫と、この家で暮らす最後の二人の夜。何となく、雰囲気で少し豪華な料理を食べ、ワインなんかを飲みながら、向かい合って話をします。結婚してもう20年にもなるのに、なぜだかどこか、新鮮な心持がしました。
「お前には苦労かけるけど。母さんと仲良くしてやってくれ」
「ええ、もちろん。私お義母さんのことすきよ」
「それならよかった」
「……でもすこしさみしいわね」
「なにがだ?」
「あなたと二人でこんな風にご飯を食べるのも、これで最後だと思うと」
「ばかだなお前って」
「なによ」
「新しい家で、また新しい空気で、やっていくんじゃないか。きっとうまくいくさ」
夫はそう言ってにこりと笑いました。そして、引っ越し当日。空っぽになった家を見て、こんなに広かったっけと月並みなことを思いながら、私たちは家を後にしました。新しくここを使ってくれる人は私たちと同年代くらいの家族だとか。きっと丁寧に使ってくれるでしょう。
新しい家へ移動しながら、私たちは最寄駅まで来た義母を車で拾います。義母はうれしそうな、それでもどこか申し訳なさそうな笑顔で改札に立っていました。
「お義母さん」
「ああ、ごめんね、わざわざ迎えに来てもらって」
「そんなこといいんですよ、さ、行きましょ」
新しい家の窓からは、マンションの森林区が見えます。緑の鮮やかさは前の家では味わえなかったことの一つでした。夫の言葉を反芻し、私は少し気分が軽くなりました。
まだ残ってはいるもののざっと片づけをし、ご近所挨拶も終え、夕ご飯の時間になりました。私と義母で台所に立つのも、考えてみればとても久しぶりでした。
「いい家ねえ」
つぶやくように言った義母の横顔は、穏やかなほほえみに満ちていました。
「はい」
私の声は、しっかり義母に届いていたか、涙に詰まったような声になっていたか、でも、義母は微笑むだけでなにも言うことはありませんでした。
「家を売る」という選択をする人には、大体ざっと二種類いると思うのです。
何かやむを得ない事情で、どうしてもそこに住めなくなってしまって、悲しい理由によって家を売る人。
もうひとつは、何らかのうれしい理由により家を売る人。
いまのわたしは、きっと後者なのだと思います。