Column家づくりの知識

不動産の売却話 【未来図】

俺はいたって普通の会社員。特別なにかが出来るわけではないし、大きな趣味も、夢もあるわけじゃない。普通に会社に行き、普通に仕事をして、家を買い、ローンを組んで、それなりの給料で生きていた。毎日が平凡で、つまらなくて。でも、それなりに充実もしていて、それなりに幸せだった。普通、が、自分には何よりも合っているのだ。
そんな俺は、今日、高校の同窓会へ出向いている。六本木のバーで、高校3年の同じクラスの40人と会うのだ。俺は柄にもなくワクワクしていた。普段よりはちょっといいスーツで、靴で。もちろん何もないだろうけれど、ちょっとだけ期待もしていた。普通とは、ちょっとだけ違う日常に。ずいぶん久しぶりに会う友人たち。楽しみだ。
「おお、久しぶりだなー!」
「おまえ、変わってないなぁー!」
中に入ると、明るい声が飛び交う会場だった。立食パーティで、みんながいろいろなところで談笑していた。俺もビールを貰うと、近くにいた友人に話しかけるだけで昔話に花が咲く。懐かしい顔だ、もう何年振りになるだろう。
「あれ……久しぶり」
そんな時、声をかけてきたのは1人の女性。たしか、図書委員だった女の子だ。眼鏡をかけていて、地味な感じの子だった気がする。面影はあるものの、高校の時よりずっと大人びて綺麗になっていた。
「あ、久しぶり…メガネやめたんだ」
「うん。コンタクト、似合うかな?」
「似合う似合う! 実は俺もコンタクトなんだ!」
俺と彼女はしばらく話し込んで、それから連絡先を交換した。

それから数日後、彼女とラインを交わしながら、食事へ行く約束を取り付けた。
高校のときは大人しくてずっと本を読んでいるような子だったが、話してみると楽しく、それから……、お互いに、意識するようになっていった。
何度目かの食事で、俺はついに切り出した。
「あ、あのさー。彼氏っているのかな」
「え、あ……、いない、よ」
「そ、そっか」
「うん」
「あ、あのさ。もし良かったら……、俺、立候補しても、いいかな」
「……もちろん!」
彼女の弾けるような笑顔が眩しくて、俺もつられて笑ってしまった。

彼女との付き合いは充実して、とても楽しいものだった。平凡な俺にも飽きずに付き合ってくれ、彼女の好きな本や、映画、舞台なんかも見に行った。
そんな付き合いが、2年続いて。俺の家で彼女が住み始めた頃のことだった。
会社で上司に呼び出された。
「なんでしょうか」
「君に辞令が出てね」
「は、はい」
「部長昇進だよ。おめでとう」
「ありがとうございます!」
「部長になるに伴って、転勤になる」
「転勤、ですか」
「栄転だよ、栄転。家はこちらで手配するから」
明るい気持ちが、さっ、と陰った。
彼女に、結婚を申し込むつもりだったが、俺が転勤になる。彼女は仕事をしていて、この街にご両親もいる。そんなに簡単に引っ越してくれとも言えない。しかも……転勤先は、東京だ。都会のど真ん中に、ここから引っ越すのは相当な気苦労だろう。
もちろん部長になるのは嬉しい。嬉しいけれど……、でも、手放しに喜ぶことはできなかった。

家に帰ると、ふわりとカレーの香り。彼女が帰ってきて、ご飯を作ってくれている。
「……ただいま」
「お帰りなさい。ごはん、もうすぐ出来るからね」
「うん」
「……どうかしたの?」
彼女が玄関で立ちすくむ俺に駆け寄る。俺は強く口を結んでから、彼女の目を見た。
「昇進が決まったんだ」
「え?! よかったじゃない、おめでとう!」
「でも……転勤に、なって」
「転勤……?」
「この家も売らなきゃいけない」
「……」
彼女が黙ってしまう。振られる。仕方のないことだ。俺は俯いた。
「じゃ、今までよりたくさん舞台観に行けるね!」
「えっ」
はっと顔を上げると、あの日とーー告白したあの日と同じ笑顔の彼女がいた。
「私、あなたに着いていく」

上司の紹介してくれた不動産会社さんが事情を加味してくれ、高額とまではいかないがそれなりの値段で家を買い取ってくれた。東京では最初、社員用のアパートを借りることにしていたので、売った代金は、引越しの費用と貯蓄に充てることができた。
空っぽになった家を見回して、俺はひとつの思いを感じている。
ひとりで買った家、2人で住むことになった家、売ることになっても助けになってくれた家。これからの未来、俺が抱えていく思いをくれた家。
「あなたー、行くよー」
「今行く!」
この引っ越しは、生涯忘れることはないだろう。