column

家づくりの知識

不動産の売却話 「母への手紙」

「今日も疲れたなあ」
ミンミンゼミがしきりになく夏の暑い日。ゆだるような暑さは今年一番。流れる汗をぬぐいながら僕は商談を一つ終え、会社へ戻る道を歩いていました。
「おーい!」
「はい?」

唐突にかけられた声に振り向くと、そこには精悍な顔つきの、体格のいい男性が立っていました。お客様だったか、と逡巡して、はたと思い当たりました。
「もしかして、13年前の……?」
「そうだよ! よく覚えてたな、久しぶりだ、営業さん」
忘れるはずはありません。そのお客様は、私が13年前に、この業界に勤め始めて初めてのお客様なのですから。
「あの時はどうも」
「いやいや。あんたもずいぶん年を取ったなあ」
「13年ですから」

二人とも、なにともなく懐かしくなって、近くの喫茶店に入りました。アイスコーヒーのおいしい店、僕もよくいくところです。二つテーブルに置かれたそれが、しっとりと露を纏うころ。
「いまはどちらに?」
「この近くに住んでるよ」
「ご家族でですか」
「ああ、娘と二人でな。もう高校生だよ、早いな」
あ、と思いました。
「そうですか。さぞかわいくなられたんでしょうね」
「毎日生意気で困るよ。……なつかしいなあ」
「……あの時は私も未熟でしたから、きちんとお話も伺えず。あの家を売られたのにはどんな理由が、あるのでしょうか」

男性はにっこりと笑って、ストローに口をつけた。
「妻は乳がんで他界してな。あの時売った家は、4年前に買った家だった。たった4年だが、娘が生まれ妻と悪戦苦闘したせわしい毎日が思い出だったよ。妻と暮らした家から、どうしても離れることができんでなあ。それからしばらくはあそこに縛られるように住み続けてた。娘を保育園に送って行って仕事に行って、料理をして、本当にてんてこ舞いでな。子育ての為に、環境のいい駅から離れた一戸建てに住んでいて、妻と一緒の頃は何も不自由がなかったけれど、今では職場と保育園、家との往復がしんどかった。
たまに泣きたくなるときすらあったよ。
あるとき、保育園にいっていた娘が手紙をもって帰ってきたんだ。
どうしたんだって聞けば、おかあさんに、と言う。そういえば、世間はカーネーションであふれている。その日は、母の日だった。

娘を寝かしつけてから、ダイニングのテーブルで丸く包まれた画用紙を開いてみると、汚い字だが娘なりに一生懸命書いた手紙がそこにはあった。
母親と、俺と、そして自分の絵。みんなが笑っている。
その下には、一言だけ拙い文字が書かれていた。
「ママ かえってきて」
俺は、娘を抱きしめて泣いたよ。
俺は、娘のママへの手紙を読んで引っ越しを決めた。
他人にはわからないかもしれないが、何かに踏ん切りをつけたかったんだろうな。あの手紙は、ひとつのきっかけだった。
その後のことはあんたにお願いしただろう、新人なりにあんたも頑張ってくれて、家もすぐ売れたし、駅前のマンションに越すこともできた」
「そう、だったんですね」

からんとコーヒーの中の氷が音を立てる。男性はからっと笑った。
「あんたがそんな顔をするこたあないさ。娘も18歳、家事も洗濯も出来るようになって、顔立ちも妻によく似てるんだ。娘とともに生きていくことが、妻との思い出を大切にすることだって、今でも思ってるよ」
喫茶店を出て男性と別れ、会社に戻る道の中で、僕は少し泣いたような気がします。
今日も、明日も。

新しい決別のために、新しい出会いのために、そして出発のために。
僕は家を売るお手伝いをしようと思う。