column

家づくりの知識

不動産の売却話 「新形態までの道のり」

新卒で不動産業界に入って、必死に働いて、3年。やっといくらかのコツがつかめてきたところ。
先日、1通のはがきが僕のところに届いた。

手紙の主は、昔のお客さん。個人で日本料理店を経営している、58歳の主人だった。
懐かしくなってかつての資料を引っ張り出す。メモや物件のシートなど、僕なりにまとめたそれを開く。
お店は奥さんと、24歳の息子が手伝っている。3階建ての家屋は、1階がカウンターと座敷づくりで普段の店舗。2階は大口のお客様が来た時用に宴会場、3階は自宅という、まあいわゆる店舗兼住居というやつだ。

僕のところに話が来たのは、ざっとこんないきさつだ。
バブルの頃に建てたというこの建物は、当時は客にも勢いがあり宴会場も多く使われていた。しかし、景気の悪化した今、安価な居酒屋の台頭により、この店もそのあおりをもれず食っていて、なかなか小料理店のような単価の高い店での宴会は行われなくなっていた。

25年も経営を続けられるほどの人気店ではあるが、今やめったに使われなくなった宴会場のある2階部分は、雑多な物置と化していたのが、僕が初めて見た現状だった。
常連の客はついているものの、3階建ての家を維持し続けるのはそれなりの金がかかる。材料費の高騰などで経営はどんどん苦しくなっていった。
店主は、このままでは閉店するしかないという危機感と、今までどおり、料理は決して手を抜いていないのにもかかわらず売り上げが落ち込んできている現実で苦しんでいた。
今のご時世に、維持費で割を食うのはもったいない。今の店舗を売って、新たな店舗を買い上げるのがいいだろうと、ぼくは思った。
「どうですか。一度見積もりだけでも出してみたら」
「うるさい! お前も俺の店を奪いたいのが本音だろう?! 俺は絶対に売らんからな!」
「聞いてください。もちろん親父さんの料理が最高なのはぼくも知ってますよ。何回も食べてるんですから。でも今の場所じゃ金ばっかかかって大変でしょう」
「いい仕事をすればきっと客はわかってくれるんだ。俺は売らん」

頑固でまっすぐな、昔ながらの板前の主人。分かっていた反応ではあったが、これは説得するのが難しいぞと内心ため息をついたところだった。
「でもあなた」
声を上げたのは、毎日の売り上げと帳簿をつけている奥さんだった。
「確かに営業さんの言う通りだわ。ここよりもっと田舎にいって、小さいお店を持って、静かに暮らしていきましょうよ。借金だってあるじゃない」
「売りたいっていうのか?!」
「父さん。日本料理だけだなんて古いんだよ。今はもっと、新しい料理を作らないと」
「お前まで!」
「わかりました、わかりました。では、一度査定を持ってきますから。それで、内容を見て判断されたらいいじゃないですか。査定を出すのはタダなんですし」
その言葉に、3人は渋々頷いた。

最終的には、売った金額から借金を払うと1300万円ほど手元に残るということが判明した。25年使っていたにしてはかなりきれいに使ってあったし、そのうえ駅そばだ。そのくらいの値段がついてもおかしくはなかった。
「ねえ、親父さん。僕は、親父さんの料理が好きなんです。ほんとですよ」
「ふん……」
「せっかく高く売れるんだし、これを機に、安定した生活に切り替えたらいいじゃないですか。もちろん、思い出もわかります。僕も寂しい。でも、親父さんの料理が食べられなくなることのほうが、もっと寂しい」
「……わかったよ、ったく!」
結局、予定より100万円高値で販売が決まり、3人はそこを手放すことになった。新しいオーナーはその家を改装しすべてワンルームへ変更、そして大事にすると約束し、親父さんの料理もたまに食べに来るという。
そして、売った金を元手に、少し郊外の、古めのマンションを買うことにしたという。僕が知っているのはそこまで。

手紙にはその後のことがつづられていた。
実はそのあと、家だけではなく、駅前の空き店舗を見つけ、息子主体の新形態の割烹居酒屋にして新しく店を出すことが出来たという。息子の新たな風と、親のしっかりした技術。居酒屋はたちまち人気店になったという。
手紙の最後は、こんな風に締められていた。
「昔のように贅沢は出来ないけれど、新しい希望を見いだせた。あの時の決断がなかったら、今頃どうなっていたことか。本当に感謝しています。また料理を食べに来てください」