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家づくりの知識

不動産の売却話 『家を受け渡す幸せ』

道を駆けてゆく子供たちの姿。元気のよい歓声。
思えば、そうした光景を見つめる妻のどこか寂しげな眼差しが、家を手放す切っ掛けとして決定的なものだったのかも知れません。

リタイア後には、都会のほうへ住居を移そう。
そんな話は前々から妻との間で交わしていました。

妻は片足を悪くしており、やや郊外に建てたこの家は、この先暮らしていく上で次第に不便となっていくように思われたからです。
娘夫婦も遠方に住んでおり、この家を維持しておく必要性もなくなっていました。

金銭的にも、バリアフリーにするためのリフォームにお金を掛けるよりは、家自体を変えてしまったほうがいいだろう、という判断です。
店や病院の近いところ、マンションもいいねという話を夫婦でしました。

ただ、住み慣れた家を売るとなると、やはり不安も大きいものでした。
よく「家は人生で最も高額な買い物」などと言われますが、その理屈で言うなら「家は人生で最も高額な売り物」だからです。
価格の折り合いがつくのか、悪質な不動産業者に騙されたりはしないか、そもそも買い手がつくのか。
そんな心配を妻は口にしていましたし、私自身も積極的に妻の不安を煽るようなことは言わなかったものの、内心では同じように思っていました。
それに、なんだかんだ25年近く住み続けた我が家です。思い入れもそれだけありますが、それなりに古くなってもいます。
車や本や家電でも中古品は買い叩かれるものですから、あまり売値にも期待できないことでしょう。
そういったことを考えると、どうしても家を売るのが億劫になってきてしまっていました。

それでも、一応御社と相談しておこうかと思ったのは、妻が病院で、この先足の手術が必要となる可能性がある、というようなことを医者に言われたからです。
手術をするとなると、郊外にこのまま住み続けるよりは都会のほうが便利だと思いましたし、家だってすぐに売れるようなものではないでしょう。
早めに話を通しておいたほうがいいと考えたのです。

連絡をすると、次の日の昼過ぎには社長さんが来てくれました。ぴしっと背筋が伸びていて礼儀正しく、
ちょうど娘と同じか、それよりやや若いくらいの年齢かなと思いました。
その社長さんは打ち合わせをする中で、こんな田舎の古い家だけれど売れるんだろうか? という僕たちの不安に、
「大丈夫です! きっといい方が見つかりますよ!」と答えてくれました。

「いい買い手」ではなく「いい方」という表現に、きっとこの人は信頼できる、と思いました。僕らは商売をしたいのではありません。
思い入れのある我が家に、なるべく喜んで住んでくれる相手がほしかったのですから。

とはいえ、この物が売れなくなってきている時代に「大丈夫です!」とは、いささか安請け合いなのではないか、とも思ったことは事実です。
ですが、その思いは良い方に裏切られました。なんと、話をしてから一月も経たないうちに、内覧をしたいというご家族がいらしたのです。
どうしてこんな古い家に? という疑問の答えは、先に社長さんから聞いていました。つまり、立地条件だったのです。

確かに私たちの家は古かったですが、近くに小学校や保育園がありました。
そして、下見に来られたご家族にも、小学生に上がる前のお子さんがいらしたのです。

その若いご夫婦がおっしゃるには、ご主人の異動に伴って住居を移す必要があった、けれども子供が通学するのに便利なところに住みたいという希望を出していた、
ということだったのですね。
説明をしながらも、奥さんはお腹を優しく撫でていました。あと半年もすれば、妹か弟が産まれるのだそうです。

私は、妻がそんなご家族を幸せそうに見ているのに気付きました。
娘夫婦にはまだ子供がおらず、妻は近くの学校へ通う子供たちを見るたびに、どこか寂しそうな目をしていたのです。
妻にとって、そのお子さん――男の子だったのですが――は、まるで孫のように映ったのかも知れません。

「子供は元気がいいですからね。新築よりも中古のほうが気兼ねしないでいられるという方も多いんですよ」と担当者の男性が笑いながら言いました。
「あっ、でも乱暴に使うってことではないんで」と慌てたように付け足したのは、ご愛敬といったところでしょうか。
「いえいえ、それくらい元気なのはいいことですよ」と妻は言いました。乱暴に扱うような人が住むのと、
元気のいい男の子が住んで多少ボロボロになるのとでは、意味が違います。僕も妻に同感でした。
お子さんの入学前には説明会やら何やらの手続があるとのことで、タイミングを合わせるためにも話しはスムーズに進んでいきました。
社長さんの尽力も大きかったと思います。
相手のご家族と話し合いを重ねる都度、妻は嬉しそうにしていました。そんな妻を見て、私も幸せな気持ちになれました。

こうして、私らの「人生で最も高額な売り物」は無事に売れたのでした。
新居は新居で不満のないところが見つかりましたし、今でも妻はあのご家族を気に掛けているようです。
いい経験をさせて頂いたな、と思っております。