毎年夏になると、俺の家族はみんなで、避暑地であるN県のペンションに泊まりに行く。それはいつからかのことだったのかはもうよく覚えていないけれど、小さいころからの慣習だったような気がする。
小学校から、中学校まで。高校になってからも行っていた。何十回と行ったペンションのオーナーさんは、付き合いの長さもあり親戚のような、どこか家族にも似た親近感があった。
行くたびに、おいしいご飯を作ってくれて、ふかふかのベッドを準備してくれる。とびきりの笑顔が魅力的な2人に会えることも、楽しみの一つ。都会の喧騒から離れた静かな緑の中に身を置くことで、子供ながらに心がすっと洗われるような気がしていた。
俺たちがペンションに行くと、必ず会う家族がいた。俺たちと同じ時期に毎年泊りに来ていたのか、それとも近くに住んでいたのかはわからない。でも、その家族とも、俺たちは仲が良くなっていった。
一緒にバーベキューをしたり、野原を走ったり、キャッチボールをしたり。その家族には俺の2つ下の男の子がいて、まるで弟みたいに仲が良かった。
それから俺も成長して、大学生になって、社会人になって。あのペンションに行くこともなくなっていった。
でも心のどこかで懐かしむ思いがあり、30歳になるのを記念に、俺は一人であのペンションへ向かった。
車でN県への道を行き、心は緑が深くなるにしたがって跳ねるように踊っていった。
「着いた……」
そこは、昔と何も変わっていなかった。
久しぶりの木のドアを、こんこんとノックする。
「はい」
聞こえた声は、耳なじみのあるそれだったが、ただ、俺の思っていたのとは違っていた。
「うわ、久しぶりだな、兄ちゃん!」
「……、おお、久しぶり」
出てきたのは、俺よりちょっと背の高くなった、あの時の少年。いや、もう青年か。彼は昔の面影のある明るい笑顔で俺を迎え入れた。
「どうしたんだよ」
「いや、長期の休みが取れたから、久しぶりにここに来てみようかなって思ってな。急にごめん」
「そっか、もちろん大歓迎だよ! 入りな!」
勧められるままに中に入ると、中で待っていたのは、あの時一緒に泊まっていた家族だった。奥さんが驚いた様子で駆け寄ってきて、旦那さんのほうはキッチンから手を振ってくれる。オーナー夫婦の姿は見えなかった。
「久しぶりじゃない! 大きくなったわねえ!」
「お久しぶりです。あの、経営してたご夫婦は」
「ああ……まあ、座って」
なじみのある木の椅子に座ると、アイスコーヒーが出てきた。一口すすると、喉が潤されるようにきんと冷える。
そんな俺を見て、奥様がほほ笑みながら話してくれた。
「実は、ここを経営されていたご夫婦、高齢になってね。私たちの家、となりの県にあったんだけれど。毎年夏にはこっちに来て遊んでいたのよ、知ってるでしょう? それでね、3年前だったかな。自分たちが高齢になって、息子夫婦が、東京でお好み焼き屋をやってるから手伝いに行って、ここは畳むって言うのよ。それで、私たちが、ご夫婦からここを買い取って、ペンションを引き継いだの」
「そうだったんですか」
「だって、なくなるのは嫌じゃない。たくさんの思い出の詰まったこのペンションを、いろんな人の思い出を詰め込んだこのペンションを、なくしたくないじゃない」
俺は奥さんのその言葉にじんとした。キッチンで夕食を作る旦那さんと息子も、笑顔にあふれている。
持ち主は変わってしまったが、久しぶりの優しい空気に、俺はやっぱり、心が洗われたような気がした。
東京に帰り、オーナー夫婦がいるというお好み焼き屋を訪ねた。あの時のご夫婦が、やっぱりキラキラした笑顔で笑っていた。あのペンションがまだ続いていることを知らせると、二人ともとても喜んでいた。あの時の生活ももちろん幸せだったが、息子夫婦と一緒に暮らして、今の生活も幸せだと教えてくれた。
ペンションを売って、そして、それを買った家族がいて。
俺はあそこに遊びに行っていただけだったけれど、持ち主が変わっても、そこにいた人たちの思いも、受け継いだ人の思いも変わらないのだと思うと、何となくうれしくなった。
また来年、あのペンションに行こうと思う。
そのときは、お好み焼き屋の家族も連れて。